映画 『色即ぜねれいしょん』
2009年10月14日 映画〔邦画〕イラストレーター、作家などマルチに活躍するみうらじゅんの自伝的青春小説を『アイデン&ティティ』の田口トモロヲが映画化。ロックな生き様にあこがれながらも、平凡で退屈な日々を過ごす文科系男子高校生のひと夏の成長物語を描く。主演は、2000人を超えるオーディションから選ばれた高校生バンド黒猫チェルシーの渡辺大知。共演には23年ぶりの映画出演となる堀ちえみ、リリー・フランキー、くるりの岸田繁らが集結。涙と笑いでつづる若者たちの不器用な青春が共感を誘う。
文科系男子のじゅんは、思春期特有のもやもやを歌にしたためるが、それを人前でさらす勇気は持たない。
ある日、クラスメイトの友人とともに、ひと夏の体験と旅行に出かけけ、そこで得た経験が彼らを少しずつ大人へと変えていく。
と文章にするとありふれて陳腐だが、青春とはそもそも陳腐なものだ。
陳腐なほどにありふれている、誰もが辿る道だから、そういう単純化をしても多くの人の共感を得ることができるのだろう。
僕もまた、彼らのような青春を送っていなくとも、彼らのような内的葛藤を経てきたわけで、そういう意味で、この映画は、多くの面で自分の青春を呼び覚ますものでもある。
逸脱への憧れ、中途半端な自分への不満、打ち破りたいともがく姿が、青臭く、気恥ずかしい。
ロックへの傾倒は、不良にもなりきれない自分のせめてもの時代への抵抗。
不自由な規則や自己表現の萌芽に抗う正体不明な障害物への鬱積した気持ち(それをもやもやとか言うのかな)へのアンチテーゼである。
僕たちは誰でも心にロックを抱えている。
人生だってそうだ。大人になるとみんな決まったレールの上を歩かないと不安になる。少年期、不良に憧れ、逸脱を目指したあの情熱は、そういう世間へのアンチテーゼは、社会に組み込まれ、生活という必然の中に否応なく押し流されていく。
しかし、青春は、若かりし頃の特権ではない。
時代へのアンチテーゼを貫いた人生は、即ちロック、即ち、青春だ。
ロックな人生を歩むのも悪くない。
青春は泥臭く、青臭く、しかしそうであるのに清清しい、輝いて見える。
あくまで前向きにロックな人生を歩み続けられたなら、それは生涯青春を貫くようなものだ。
例え周りから愚劣に移ろうが、逸脱とは、ロックとは常に愚劣なものなのだから。
旅行先のユースホステルの管理人の髯ゴジラは言う、「悩むのはいいことだ。悩めるってのは自由の証拠だ。悩めない人生だってこの世界にはあるんだ」みたいなこと。
そうだ、僕たちは、悩めるほどの選択肢のある世界で生きれているほど自由なのだ。
そんな時代にも、鬱積するわだかまりが自分の中に存在するのなら、その自由を利用して、大いに悩もうではないか。悩んだすえに湧き出るロックな情熱を自己表現できること、それもまた、自由の特権なのだから。
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