セロトニンが正常に近くなった??
2009年10月11日 日常 コメント (1)実は、今薬断ちをしている。
以前も一度薬断ちをしたことがあるが、そのときは、激しく気持ちが落ち込み、強迫も酷くなり、やはり自分には薬が必要なのだと痛感させられた。
しかし今薬断ちしている。
きっかけは、この仕事が休みが一日しかなくて、病院に薬をもらいに行く気力がなかったからなのだけど。
母親は、以前断薬した状態を知っていたので、どうか薬をもらいに行ってくれと心配してたけど、最近はもう言ってこない。
いってこないのには訳がある。
今回は、断薬してるのに、激しい気持ちの落ち込みや強迫の悪化が見られない。
薬を飲んでいた時と同じ状態がずっと保たれている。
強迫行為も、完全にはなくならないけれど、一番軽いときのまんま。
気分の落ち込みも、むしろ小康状態といって良く、僕はもう一生薬は手放せない。薬とともに生きていくんだと思っていただけに驚きだ。
もちろんまた悪化することも考えられるし、そうなったらまた飲むけど、このままの状態が続く限り、飲まないにこしたことはないよね。
薬代は月に6千円もするし。。。
でもどうして悪化しなかったのだろう?
強迫の治療に暴露反応妨害というのがあるが、それと似たような理屈で、薬を飲んでいるとき、強迫の症状がほとんどなくなり、その期間が長かったために、脳の機能が変質して、強迫行為をしない状態に脳が慣れてしまったのだろうか??
でも、気分の落ち込みは油断ならない。
たぶん何かがきっかけで激しく落ち込むことがあると、また薬を飲まないと浮上できなくなるかもしれないから、抑鬱が出ると、そのはけ口を求めるかのように強迫が併発、悪化する可能性もある。
この平穏な状態がずっと続くことを祈るばかりである。
僕が人間らしい生活を送れだしたと感じたのは、強迫を意識しなかったすごく幼い頃と、大学を出て、SSRIという薬と出会ってからだった。
それはそれまでの苦しみに比べたら本当に天国のようなものだった。
今でも強迫はまだあるけど、あの頃に比べたら屁でもない。
僕がいまだに辛いと感じることがあるとすれば、長い強迫に苦しんだ期間に失ってしまった貴重な時間と、そして潜在的に自尊心を見出せなくなってしまったことだ。
僕は今、それを何とか取り戻そうとしているわけですよ。
以前も一度薬断ちをしたことがあるが、そのときは、激しく気持ちが落ち込み、強迫も酷くなり、やはり自分には薬が必要なのだと痛感させられた。
しかし今薬断ちしている。
きっかけは、この仕事が休みが一日しかなくて、病院に薬をもらいに行く気力がなかったからなのだけど。
母親は、以前断薬した状態を知っていたので、どうか薬をもらいに行ってくれと心配してたけど、最近はもう言ってこない。
いってこないのには訳がある。
今回は、断薬してるのに、激しい気持ちの落ち込みや強迫の悪化が見られない。
薬を飲んでいた時と同じ状態がずっと保たれている。
強迫行為も、完全にはなくならないけれど、一番軽いときのまんま。
気分の落ち込みも、むしろ小康状態といって良く、僕はもう一生薬は手放せない。薬とともに生きていくんだと思っていただけに驚きだ。
もちろんまた悪化することも考えられるし、そうなったらまた飲むけど、このままの状態が続く限り、飲まないにこしたことはないよね。
薬代は月に6千円もするし。。。
でもどうして悪化しなかったのだろう?
強迫の治療に暴露反応妨害というのがあるが、それと似たような理屈で、薬を飲んでいるとき、強迫の症状がほとんどなくなり、その期間が長かったために、脳の機能が変質して、強迫行為をしない状態に脳が慣れてしまったのだろうか??
でも、気分の落ち込みは油断ならない。
たぶん何かがきっかけで激しく落ち込むことがあると、また薬を飲まないと浮上できなくなるかもしれないから、抑鬱が出ると、そのはけ口を求めるかのように強迫が併発、悪化する可能性もある。
この平穏な状態がずっと続くことを祈るばかりである。
僕が人間らしい生活を送れだしたと感じたのは、強迫を意識しなかったすごく幼い頃と、大学を出て、SSRIという薬と出会ってからだった。
それはそれまでの苦しみに比べたら本当に天国のようなものだった。
今でも強迫はまだあるけど、あの頃に比べたら屁でもない。
僕がいまだに辛いと感じることがあるとすれば、長い強迫に苦しんだ期間に失ってしまった貴重な時間と、そして潜在的に自尊心を見出せなくなってしまったことだ。
僕は今、それを何とか取り戻そうとしているわけですよ。
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