則天去私 (『行人』を読んで)
2009年10月4日 僕の思ったこと「何も考えていない人の顔が一番気高い」とは、漱石の小説『行人』に出てくる一文である。
この言葉を発した人物は、主人公の兄であり、学問だけを生きがいとしてきた、人を信じることのできない孤独な人物であり、おそらくは漱石自身の投影でもあったのだと思う。
兄の朋友は言う。
後半、一つの挿話が語られる。
モハメッドは遠くの山を呼び寄せるといい、観衆を募った。彼は群集の前で三度、山を呼び寄せたが、山は彼に寄ってこない。
彼は「自分は山を呼び寄せたが、山の方が来たがらないようなので、自分から行くより仕方がない」と言い、山の方向へ歩いていった。
主人公の兄はこれができない。山を呼び寄せようとして、呼び寄せられなければ悔しがるが、自分から歩み寄ろうとはしないのだ。
歩み寄れば楽になる、歩み寄れば幸福になれるかもしれないのに、それを彼にさせないのはいったいなんなのだろうかと。
実は、兄はすでにその理を得ている。
兄は「絶対」に憧れた。
絶対とは何か。
小説にはこう書かれている。
これは、僕が以前『渇愛と慈悲』(http://37292.diarynote.jp/200603280043040000/)というタイトルで書いた日記の内容、仏教やインド哲学に通じるものである。
しかし、ここまで幸福の道を解き明かしている兄はその論理性ゆえに、幸福の道を歩むことができない。
兄は朋友に涙ながらに訴える、「どうしたら、この研究的な僕が、実行的な僕に変化できるだろう。どうぞ教えてくれ」と。
心は、理智とともに歩んではくれない。
歩んでくれる人がいれば、それはとても幸福な人だろうと思う。
理屈でわかっていても、心が、体が言うことをきかないのだ。
そこに主人公の兄の苦しみがあるのである。
そしてまた、これは僕の苦しみでもある。
だから、僕はこの小説に激しく共感せざるを得ない。
もう一つこの小説に出てきた挿話がある。
ある聡明霊利に生まれついた坊さんがいた。その坊さんが高僧に教えを請い悟りを得ようとしたが結局何も得られなかった。次に行った和尚にも、「お前のような意解識想(意識や思索による理解)を振り回して得意がる男はとても駄目だといわれる。
坊さんは、あきらめ、自分が所有していた全ての書物を焼き捨て、それ以後考えることを止めてしまった。善も投げ悪も投げ、一切を放下し尽くしてしまう。
するとあるとき、豁然と悟りを啓いてしまったのだそうだ。
兄は、その坊さんに憧れる。
すなわち漱石はそうなりたかったのだろう。
漱石が晩年に作った言葉「則天去私」
自然に身をゆだねて、なすがままに生きたい、それが漱石の理想の境地であった。
主人公の兄は、何にも拘泥していない自然の顔を見ると感謝したくなるほどうれしいといい、そしてそういう顔のできる人物を尊敬する。
僕が純粋と感じる人物への憧憬(http://37292.diarynote.jp/200706200141020000/)もまた、同じようなことであるのかもしれない。
この言葉を発した人物は、主人公の兄であり、学問だけを生きがいとしてきた、人を信じることのできない孤独な人物であり、おそらくは漱石自身の投影でもあったのだと思う。
兄の朋友は言う。
兄さんがこの判断に到着したのは、全く考えたおかげです。しかし考えたおかげでこの境涯には入れないのです。兄さんは幸福になりたいと思って、ただ幸福の研究ばかりしたのです。ところがいくら研究を積んでも、幸福は依然として対岸にあったのです
後半、一つの挿話が語られる。
モハメッドは遠くの山を呼び寄せるといい、観衆を募った。彼は群集の前で三度、山を呼び寄せたが、山は彼に寄ってこない。
彼は「自分は山を呼び寄せたが、山の方が来たがらないようなので、自分から行くより仕方がない」と言い、山の方向へ歩いていった。
主人公の兄はこれができない。山を呼び寄せようとして、呼び寄せられなければ悔しがるが、自分から歩み寄ろうとはしないのだ。
歩み寄れば楽になる、歩み寄れば幸福になれるかもしれないのに、それを彼にさせないのはいったいなんなのだろうかと。
実は、兄はすでにその理を得ている。
兄は「絶対」に憧れた。
絶対とは何か。
小説にはこう書かれている。
兄さんは純粋に心の落ち付きを得た人は、求めないでも自然にこの境地に入れるべきだといいます。一度この境界に入れば天地も万有も凡ての対象というものが悉くなくなって、ただ自分だけが存在するのだといいます。そうしてその時の自分は有(ある)とも無いとも片の付かないものだといいます。…即ち絶対だといいます。そうしてその絶対を経験している人が、俄然として半鐘の音を聞くとすると、その半鐘の音は即ち自分だというのです。言葉を換えて同じ意味を表わすと、絶対即相対になるのだというのです。従って自分以外に物を置き他(ひと)を作って、苦しむ必要がなくなるし、また苦しめられる懸念も起こらないのだというのです。
これは、僕が以前『渇愛と慈悲』(http://37292.diarynote.jp/200603280043040000/)というタイトルで書いた日記の内容、仏教やインド哲学に通じるものである。
しかし、ここまで幸福の道を解き明かしている兄はその論理性ゆえに、幸福の道を歩むことができない。
兄は朋友に涙ながらに訴える、「どうしたら、この研究的な僕が、実行的な僕に変化できるだろう。どうぞ教えてくれ」と。
心は、理智とともに歩んではくれない。
歩んでくれる人がいれば、それはとても幸福な人だろうと思う。
理屈でわかっていても、心が、体が言うことをきかないのだ。
そこに主人公の兄の苦しみがあるのである。
そしてまた、これは僕の苦しみでもある。
だから、僕はこの小説に激しく共感せざるを得ない。
もう一つこの小説に出てきた挿話がある。
ある聡明霊利に生まれついた坊さんがいた。その坊さんが高僧に教えを請い悟りを得ようとしたが結局何も得られなかった。次に行った和尚にも、「お前のような意解識想(意識や思索による理解)を振り回して得意がる男はとても駄目だといわれる。
坊さんは、あきらめ、自分が所有していた全ての書物を焼き捨て、それ以後考えることを止めてしまった。善も投げ悪も投げ、一切を放下し尽くしてしまう。
するとあるとき、豁然と悟りを啓いてしまったのだそうだ。
兄は、その坊さんに憧れる。
すなわち漱石はそうなりたかったのだろう。
漱石が晩年に作った言葉「則天去私」
自然に身をゆだねて、なすがままに生きたい、それが漱石の理想の境地であった。
主人公の兄は、何にも拘泥していない自然の顔を見ると感謝したくなるほどうれしいといい、そしてそういう顔のできる人物を尊敬する。
僕が純粋と感じる人物への憧憬(http://37292.diarynote.jp/200706200141020000/)もまた、同じようなことであるのかもしれない。
コメント