揺れる

2009年8月5日 僕について
何か嫌なことがあったとき、僕は「別に命をとられるわけじゃなし」と思うことにしている。
端から見るとえらい極端に思えるかもしれないけど、一度は死を意識するまでにいたった自分にとってはとても重く心に響いてくるわけである。
どんなに現状が辛くてきつくて憂鬱に思えても、あの地獄だった日々に比べれば全然ましな、というか天国にも思えるじゃないかと。
まだ自分は全然限界でもなんでもない。だったらまだまだ続けていける。
人間は、現状に慣れてくると、現状の中で自分の感情を判断してしまう。
他者の境遇や辛さとは比較ができないけど、自分の経験とは、現状の辛さを相対化できる。
そう考えたとき、あの強迫とアトピーと欝と戦っていた毎日(4年間)は、今となっては貴重な時期だったのだと、自分を成長させた日々だったのだと思えるのだ。

憂鬱に思えるのは、まだまだ心に余裕がある証拠。
本当に辛くなると、自分が現在辛いのかどうかすらわからなくて、ただなにをする気力も無くなってしまうのだ。
自分の存在を問いかけ自分の命さえ大切なのかどうかも定かでなくなっていく。
今僕は自分に自信はもてなくても生きていく、存在する価値は持っていると思えている。
自分なりの人生を歩めばいいと思えている。
きつい、辛い、などの負の感情を感じる余裕がある。
それは逆に考えれば、すごい幸せな境遇にいるということなのだと思う。

今日、地震があった。毎日、大地は人間が感じないくらいの地震を繰り返してる。そしてたまに僕達が感じるほどに大きく揺れる。
地球や地面が揺れているように僕の心も毎日揺れている。
揺れるってことは、上に行ったり下に行ったり、右に動いたり左に動いたりできるスペース(余裕)が心のまだどの方向にもあるってこと。

地球が無けりゃ、大地が無けりゃ、揺れようが無い。
大地が壊滅状態で生き物が生存できなけりゃ揺れても感じる対象がいない。
命だって心だって、あるから揺れを感じられる。
心が壊滅状態だったらそんな揺れなんて感じられないのさ。

心が揺れているのは、僕が生きている、生活できているっていう何よりの証拠なんだからね。
これはすごく恵まれていることなんだと思うわけだよ。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

日記内を検索