『オネスティ』ビリージョエル
http://www.youtube.com/watch?v=mwIZreVcl34&eurl

訳詞、一部抜粋
あなたが求めているのが優しさなら
見つけるのは難しくない。
生きて行く上に必要な愛を得ることも出来よう。
しかしこの世で正直さを求めると、
むしろ盲目になった方が良いくらい、
見つけるのは本当に難しい。

誠実とはまことに淋しい言葉だ、
誰もがあまりにも不誠実だから、
誠実という言葉を耳にすることは少ないが、
しかしそれこそあなたから欲しいものなのだ。


誠実っていうものには、他者に対する誠実と、自分の生き方に対する誠実っていう捉え方があると思う。
誠実の解釈もまあそれぞれだけど、僕にとって誠実の前提条件は、一貫性みたいなものかな。

つまり、自分の生き方(たとえそれがどんなものであろうと)、に対して姿勢を貫いて正直に思う道を、周りからどう映ろうと実行できるのは、自分の人生に対して誠実な生き方だと思う。
また逆に、自分の望む人生に対して、「それはあくまで夢だ」と現実と区別し、夢を捨てる姿勢。
これも自分の気持ちに対してきっちりとけじめをつけているという点で、周りからどう映ろうとやはり人生に対して誠実な対応といえると思う。

他者に対する誠実というのは、実は自分のことにも繋がっていて、他者に対して、いいことであれ悪いことであれ、何かを行ったとき、それを自分に対しても当てはめることができないのであれば、他者に対して、また自分に対してどちらかに不誠実な対応だという結論に導かれる。

誠実とは、責任を伴うものだと思う。
他者にはああして欲しい、でも自分はしていない、もしくは、他者にはしていない、でも自分にはしている、という状態を自分が選んだなら、自分はそのことに対して、他者が自分に同様の扱いをしたとしても、なんの不満を抱く権利はないし、他者から不満を持たれることに対して甘受しなければならない。

そういった責任を負わずに、一貫性を放棄し自分の気持ちに対して矛盾を胚胎するのをよしとするのは、他者に対しても、自分に対しても、また自分が選んだ自分の姿勢に対しても甚だ不誠実ということになる。

ある部分で誠実であろうとすると、ある部分不誠実になってしまうこともある。
無私の人は、その善行を自分にも適応しない限り、自分を不遜に扱っているという自分に対する不誠実を免れられないだろうし、ビリージョエルの歌にあるように、まことに誠実というのは難しいものだ。


僕は理不尽が嫌いだ。
だから、自分が他者の理不尽に対して、時として反論する権利を放棄しないためにも、自分の中の理不尽を極力減らしていきたいと思っている。
自分はやっている、もしくはやっていい。だけど他者がやっていたら不満を持つ、というのは僕の「理不尽が嫌い」という気持ちに対して甚だ不誠実な態度だから。
僕は嫌いな現象に対する自分の感情に対して、誠実な姿勢でいたい。

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