人間とは肉体的にも精神的にも脆い生き物だね。
僕なんて、車で三回事故ったことあるけど、三回目は、ほんとに、一歩間違えば死者がでてもおかしくなかった。車はグシャグシャ、もちろん廃車。
乗っていた人全員が軽症であったのは救いだった。
でも相手の人は入院してしまった。。
ドライブは好きだけど、それ以来、運転するのがたまに恐くなるんよね。
僕は抜けているところがあるから、自覚も在るし、だからもともと危険な運転はしないほうだけど、事故を起こしてからは徹底して安全運転を心がけるようになった。
僕はずっとペーパードライバーで、障害の関係とかで車に乗ってない期間が長くて、事故を起こしのがちょうど運転しだして半年たったくらい。そしてその後三ヶ月のうちに立て続けに、追突させられたのも含めて三回も事故ってしまった。三ヶ月で三回も事故を起こしたときはちょうど運転に慣れたときで、運転簡単やん、みたいな慢心が心にあったんだと思う。

そのころは、休日のたんびに同僚と遊んでて寝不足だったりしてたことも原因かな。
二回目の事故の後、一ヶ月ぐらいして、友人達を乗せてスタミナ太郎まで行って、事故ったことをネタにして「さあ、飯も食ったし俺の運転でみんなでヘブンに行こうかぁ」なんて言ったら、ほんとに天国に行きかけた。
いや、僕は行くとしても地獄だっただろうな。
ドンキに行こうということになって、ふといつもと違う道で近道をしようと思って右折したのが運命の分かれ道だった。

後ろの同僚の「危ない」、という声と共に物凄い邀撃、何があったのかわからず、気付いたら車がのろのろと電信柱のほうへ進んでいたので、放心状態から一気にさめてブレーキを踏んだ。
衝突からしばらくは痛みもなかった。
でもしばらくすると周りの状況がわかってきた。
同僚達はみんな車から降りて草むらに寝そべり、最初は立っていた僕も腰をひねっていたらしく、だんだん痛みと共に歩くことも立つこともできなくなってしまった。
大変なことをしてしまったというショックと自分への腹立たしさで気が動転して、救急車が来るまでの状況を良く覚えていないけど、救急車の中で心拍数を図られて、すごく早かったとあとで聞いた。精神的なショックでちょっと痙攣も起こしていたみたい。
自分ひとりの、そして初めて起こした事故ならここまで気も動転しなかったかもしれない、この間事故を起こして、車が修理から戻ったとたんの再発に対する悔しさ。何より辛かったのは、ぶつかった相手と、同乗させていた同僚達に対しての申し訳なさだった。

後日、警察で僕を担当してくれた人と色々話をした。
僕が障害でしばらく家から出られず、それがほぼ治ってようやくこれからというときに、こういうことがあると悲観的になる。
自分の運命はどうしてこうなのかと。
警察官に人は、「私も、妻と結婚し、ようやく念願だったマイホームをローンで買ったのに、去年その家が火事で全焼してしまった。そのときは自分の不幸を呪いもしたけど、それでもやっていくしかないんだよ。必ず良いことも巡ってくるから、お互いに頑張っていこう」と励ましてくれた。

今でもたまに想像してしまう。あれがもしあのくらいで済まずに惨事になっていたら。
きっと僕は正常な精神を(以後の人生においても)保てていなかっただろうな。
日常が一瞬で(自分にとって)非現実的なシーンへと変わってしまう。それは何も事故だけの話ではなくて、どんな人のどんな人生にもまま起こりうることだと思う。

たとえば昨日まで普通に会話できていた相手が、今日はもうできない、そんな状況がどんなに非現実的に思えたとしても、それは現実としてありうるのだ。
僕は事故を起こしてしまった自分の不運を呪うのではなく、事故を起こしても、誰も命を落とさず、そして誰の人生も根本から変えてしまうような影響を及ぼさなかったことを幸運に思うべきなのだと思う。
そして今生きている自分の運の良さ、命を授けてもらっている貴重さ、大切さをもっと重みを持って受け止めることが必要なのだと思う。

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