僕は、話す必然性のない(無意味に人を不快にさせたり不愉快にさせたりするような)こと以外はできるだけ、自分のことを日記に隠さずに書いていきたいと思っている。
いいことも悪いことも、長所も短所も。
株で負けたことも勝ったことも(笑)

できるだけ自己の透明化を目指すことが目標だ。
なかなか難しいことだけど、会話だと相手の表情などで、話すことをためらってしまうことでも、日記なら胸襟を開きやすいと思う。

何故僕が自己の透明化を目指すのかといえば、僕自身が自分の存在価値を低く見ているという実態を改善させるためのリハビリだ。

僕は自分に価値がないと(潜在的に)思ってしまっている。
だから自分に自信もない。
それは、僕が過去経験してきたことによって刷り込まれた部分も大きい。
つまり、僕は過去の記憶や、それに連なる現在の自分のマイナス面、それらや障害に対することに非常にネガティブな位置づけを行ってしまっている。
自分自身が過去や障害、自分の性格などに対して否定的な観念を抱いてしまっているということだ。

だから、以前の僕は過去を語りたがらず、自分のことを歪曲したり隠したりして語りたがらなかった。本来認識している自分というものに対しての恥ずかしい、劣等である、という思いがそうさせていたのである。

これでは、今の自分に自信を持て、価値を持てといっても、スタート地点からして否定的なのだから、持てるはずもない。

今の僕を価値あるものと思うためには、まずは僕の過去や、僕の障害、現在劣等を抱いている部分、などを自分が受け入れ、人前で臆することなく、これが自分だと自信を持って話すことができるようになること。
それこそが今の自分の価値を周りと均一にさせ、自分も一人の尊い人間だという、人としての尊厳、価値を自身に認めさせ自己への自信へと繋がると考えた。

でも僕はまだ、自分の過去や、障害のことなどでここに書けないでいることは沢山ある。
なんで書けないのだろう、話すことを臆するのだろうと考えると、それを話してしまうことで人に対する自分の価値がさらに低くなってしまうのではないかといった恐れなどに起因しているのだと思う。つまりは、やはり人生の幾らかの部分を自ら否定的に捉え、価値を自ら貶めてしまっているということだ。

今の自分を作り出したのは、過去の道程である。
だとすれば、過去の道程を否定することは今の自分を否定することに繋がる。

過去のネガティブなものさえも、自分の一部として受け入れることができるほどのポジティブさが必要なのだ。
そうすれば、今の自分の駄目な部分、弱い部分、そういったもろもろの部分を含めた自分を、肯定し、自信を持ち、人としての尊厳を保ち堂々としていられるようになるのではないか、恐れるものなどそんなにあるものではないのだ、ということを実感するために、僕は出来るだけ自己の透明化を、まずは日記などの媒体から進めていき、最終的には臆することなく堂々と自己の過去、障害のことなどについても話せる確固としたゆるぎない自我を手に入れていきたいと思っている。

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