今日は、無事に仕事を終えられた。
休憩時間のニュースで、心のストレスで体調を崩す人が近年増えているといっていた。
僕なんかもいつそうなるかわからないと思う。
以前はそうなってたし。
母親の世代から見ても、今の時代は生きづらい世の中なのだそうだ。
今の人は忍耐がないとか心が弱いなどという人がいるが、僕はそうは思わない。人の心は時代によって形作られるものだ。
僕達が過去に生きていたら、過去の人と似た価値観を有しただろうし、過去の人が現代に生きたら、過去の人たちの多くもやはりたくさんの人が心を病んでいただろう。つまりは現代はそういう時代なのだ。
データの統計でも、自殺率が常に3万人を突破している近年。交通事故の死亡率よりも多いんだっけ?
生きづらい時代、生きがいを求めにくい時代。
僕はそれを否定しようとは思わないし、過去の時代や人間性と簡単に比較できる問題でもないのだと思う。
それだけ、生き方の幅が広がった、選択肢の多い時代に、自己の生き方と現状の狭間で葛藤する。それは、過去から見れば豊かで贅沢な悩みにうつるのかもしれないけど、そういう時代に生まれてきた人間にとっては、その中で精神性が培われたわけで、そういった時代特有の、過去とは別種の過酷さも生まれてくるのだ。

資本主義の行き着くところは拝金主義だ。
拝金主義は、激烈な競争社会の元凶だ。
そこに組み込まれた人たちの中には、いつしか疑問ももつものも現れる。自分の生きがいとはなんなのか?
生きるとはなんなのか。

僕は資本主義がきらいだ。
資本主義が嫌いだが、資本主義より合理的に機能する道を知らない。
だから資本主義に組み込まれるしかない弱者だ。
だから、僕は考えを改めた。
資本主義の中で時代の趨勢に反抗を覚えながらも流されるしかないのなら、自分も資本主義をしたたかに利用して、資本主義の中で自分の生きがい、生き方を見つけていこうと。
考えてみれば、僕の持つ夢もまた資本主義でないと成り立たない、機能しないものなのだ。

全体的には資本主義経済に組み込まれながら、細かな部分は、選択の自由、表現の自由が許されるこの社会の中で、できるだけ資本主義的でない道を探る。そのために資本主義の仕組みを利用する。

それが、僕にとっての生きる方法であり、生きがいへと続いていくのだと思っている。

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