一人の人間の人生に投影されるもの
一人の人間の人生に投影されるもの
一人の人間の人生に投影されるもの
Bに誘われて、シネマ5に映画を観にいってきた。
『シロタ家の20世紀』というドキュメント(http://sirota-family.net/
Bが見たいといってくる映画は、いつも結構僕好みの映画が多くて、Bが普段見ている映画とは違うような気もするのだけど、不思議だ。

作品は、日本の音楽界に多大な貢献をしたピアニスト、レオ・シロタ氏の家族や親族が、自分達の家系とその歴史を振り返っていくというもの。
彼ら一族はユダヤ人であり、戦争での影響はやはり色濃い。
レオ氏の娘であるベアテさんは日本国憲法の第24条、男女平等を想起した人である。
ユダヤ迫害で辿った一族の悲劇、自身の体験が、彼女に切なる平和への希求を呼び起こしたのだろうと思う。
一人の人生、一族の歴史も辿っていけば、膨大なストーリーを紡ぐ。
現在、僕達が抱える悩みや苦悩は、個人的なものから始まって、個人的なもので終わってしまうことが多いように感じる。
しかし、このころの人々の苦しみは、たとえ個人的なものから始まっても、そこから世界のあり方、そして人類全体への希求へ敷衍されていく。
僕の辿ってきた人生だって、その中で経験した苦悩、苦しみ、そのあり方を自分だけのもので解決させ、終わらせてしまいたくない。

ベアテさんは言う、「今の私の子供や孫達が生きていくためには、幸せであるためには、平和でなければいけません。平和でなければ生きていけません」

僕個人の人生も、まったく同じではなくても、多くの人の人生ともリンクする感情、体験があるはずだ。

僕は幸せでいたい。そのためには、人類が幸せを希求しなければなされない。
この世界が、多くの人が幸せでいなければ、僕の幸せはありえない。
だから僕は他者の幸せを自分の人生と同等に希求する。
僕が僕の人生を語ることが、何かしらの、そして誰かしらの慰安や力となることを願う。
僕個人の問題に終わらせたくない。
人間一人、ちっぽけな存在かもしれないが、その一人の人生の中には人類全体、全体とは言わないまでも多くの人々の抱える苦悩、苦しみ、そういった問題が含まれているはずだ。
世界、人類、そう語るとあまりにも壮大に思えるかもしれないが、一人一人のそういう思いがなければ、自分の身近な、周りの出来事さえ変化させていけないだろうと思っている。

僕は、僕の人生、考えを語り、他者の問題に自分の気力のある限りにおいて耳を傾けることくらいしか出来ないが、そこから願う世界や、人類の幸せは、けして無駄なことでも、ロマンチズムでもないと思っている。

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