結婚式、行ってみたら以外に平気だった。
中学時代、あまり話したことのない違うクラスの同級生達と結構話したから。
二次会は帰ろうと思っていたんだけど、新郎は幼馴染だし、やっぱり出ておかないと悪いという思いと、新郎の姉から、「キタム、久しぶり~、二次会でゆっくり話そう」と式の前に先制打を打たれてしまったので、参加した。
そこそこ明るく、まあ、やっぱり最後は、ちょっと寡黙になってしまったけど、うまくふるまえたと思う。
だけど、それとは別に、幼馴染の結婚式は、僕を惨めに、情けない気分にさせる。
幼馴染とは、小学校一年からだから、かれこれ20年以上の付き合いになる。そのころから続いている関係は、いつの間にか自分たち二人だけになった。
そんな幼馴染だから、結婚するのは、当然すごくうれしい。
その祝福の気持ちを行動で表すことが出来ないから、惨めなのだ。
本来なら、僕がスピーチをする立場だろうと思う。
本来なら、二次会の幹事を引き受け場を盛り上げたりするべきなんだと思う。
そして、僕も彼のためにそういったことをしたい、したかったという願望がある。
でも、実際の僕は、自分の対人恐怖にしりごみし、幼馴染の結婚式に出るのですら憂鬱になってしまう人間である。
幼馴染は、自分の障害やそれに連なる人間不信を、詳しくではないがそれとなく理解してくれている。
だから今回の結婚式も、僕はスピーチや幹事を頼まれることはなかった。僕自身も自分からしたいとも言い出せなかった。
自分がすることでうまくいかず、結果幼馴染に恥をかかせることになるんではないかと思っている。
でもそれは単なる逃げの言い訳なんじゃないのか?
結局、僕は自分のことばかりなのである。
なんて友達甲斐のない、最低な人間なんだろうと思う。
学生のころは、彼も性格は明るかったが、人前で何かするのは苦手だったように記憶している。
でもいつの間にか彼は、誰とでも話し、人前でも物怖じすることのない性格になっていた。
きっとそれが普通なんだと思う。
結婚式でスピーチをしてた中学時代の幼馴染の同級生。
笑いも取り、落ち着いて話していて、どうしてあんな風に振舞えるんだろう。どうして自分は振舞えないんだろう。
一気に周りの人達が、自分よりも全然大人に見えてくる。
僕が障害で苦しんだとき、外に出られなかったとき、僕は僕だから、みんなより歩みは遅くても、いいじゃないか、段階を踏んで一段ずつ進んでいけばいいじゃないか。
そう思ったはずなのに、こういう場にいると、やはり周りと自分を比較してしまう。
なんでみんなあんなに自信を持っているように映るんだろう。
どうしてあんなに自信を持てるんだろう。
羨望と、嫉妬と、羞恥と、惨めさ。
そんな僕でも幼馴染は友人だと思ってくれる。
親友だといってくれてる。
幼馴染がくれたメッセージに書かれてあった。
『キタムとは、他の共通の友達がいるわけでもなく、二人だけで、今まで友達やってきたから、本当の意味でお互い気が合うのかな~と思っているよ。これからも親友でいよう』
僕だって同じ思いだ。
だからこそ、心情だけじゃなく、行動で彼の気持ちに報いたい。
今現在、そうできない自分がたまらなく悔しい。たまらなく歯がゆい。
いつの日か、こんな日記の文章だけじゃなく、彼だけの前じゃなく、みんなの前で、自分が彼の親友ですと自信を持って言える存在になりたい。
自分の不安に拘泥せず、ただ相手を祝福し、そんな風に行動できる人間になりたい。
「こんな俺だけど、友人でいてくれてありがとう。
お前が幸せになることが、家族のようにうれしい。
お前なら笑顔の耐えない立派な家庭が築けると思う。
心から、心からおめでとう」
中学時代、あまり話したことのない違うクラスの同級生達と結構話したから。
二次会は帰ろうと思っていたんだけど、新郎は幼馴染だし、やっぱり出ておかないと悪いという思いと、新郎の姉から、「キタム、久しぶり~、二次会でゆっくり話そう」と式の前に先制打を打たれてしまったので、参加した。
そこそこ明るく、まあ、やっぱり最後は、ちょっと寡黙になってしまったけど、うまくふるまえたと思う。
だけど、それとは別に、幼馴染の結婚式は、僕を惨めに、情けない気分にさせる。
幼馴染とは、小学校一年からだから、かれこれ20年以上の付き合いになる。そのころから続いている関係は、いつの間にか自分たち二人だけになった。
そんな幼馴染だから、結婚するのは、当然すごくうれしい。
その祝福の気持ちを行動で表すことが出来ないから、惨めなのだ。
本来なら、僕がスピーチをする立場だろうと思う。
本来なら、二次会の幹事を引き受け場を盛り上げたりするべきなんだと思う。
そして、僕も彼のためにそういったことをしたい、したかったという願望がある。
でも、実際の僕は、自分の対人恐怖にしりごみし、幼馴染の結婚式に出るのですら憂鬱になってしまう人間である。
幼馴染は、自分の障害やそれに連なる人間不信を、詳しくではないがそれとなく理解してくれている。
だから今回の結婚式も、僕はスピーチや幹事を頼まれることはなかった。僕自身も自分からしたいとも言い出せなかった。
自分がすることでうまくいかず、結果幼馴染に恥をかかせることになるんではないかと思っている。
でもそれは単なる逃げの言い訳なんじゃないのか?
結局、僕は自分のことばかりなのである。
なんて友達甲斐のない、最低な人間なんだろうと思う。
学生のころは、彼も性格は明るかったが、人前で何かするのは苦手だったように記憶している。
でもいつの間にか彼は、誰とでも話し、人前でも物怖じすることのない性格になっていた。
きっとそれが普通なんだと思う。
結婚式でスピーチをしてた中学時代の幼馴染の同級生。
笑いも取り、落ち着いて話していて、どうしてあんな風に振舞えるんだろう。どうして自分は振舞えないんだろう。
一気に周りの人達が、自分よりも全然大人に見えてくる。
僕が障害で苦しんだとき、外に出られなかったとき、僕は僕だから、みんなより歩みは遅くても、いいじゃないか、段階を踏んで一段ずつ進んでいけばいいじゃないか。
そう思ったはずなのに、こういう場にいると、やはり周りと自分を比較してしまう。
なんでみんなあんなに自信を持っているように映るんだろう。
どうしてあんなに自信を持てるんだろう。
羨望と、嫉妬と、羞恥と、惨めさ。
そんな僕でも幼馴染は友人だと思ってくれる。
親友だといってくれてる。
幼馴染がくれたメッセージに書かれてあった。
『キタムとは、他の共通の友達がいるわけでもなく、二人だけで、今まで友達やってきたから、本当の意味でお互い気が合うのかな~と思っているよ。これからも親友でいよう』
僕だって同じ思いだ。
だからこそ、心情だけじゃなく、行動で彼の気持ちに報いたい。
今現在、そうできない自分がたまらなく悔しい。たまらなく歯がゆい。
いつの日か、こんな日記の文章だけじゃなく、彼だけの前じゃなく、みんなの前で、自分が彼の親友ですと自信を持って言える存在になりたい。
自分の不安に拘泥せず、ただ相手を祝福し、そんな風に行動できる人間になりたい。
「こんな俺だけど、友人でいてくれてありがとう。
お前が幸せになることが、家族のようにうれしい。
お前なら笑顔の耐えない立派な家庭が築けると思う。
心から、心からおめでとう」
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