PM:3.30起床。
O君と県図書に行ってきました~。
マンションからすぐ近くなんですけど、全然行ってないです
僕は本は借りるよりも購入する派なので、あまり利用価値がないからなんですけど、やっぱりその蔵書の量は半端ないですし、本屋じゃまず手に入らない廃盤の書籍を読むことができたりするので、やっぱり利用すべきかもしれませんね。
今日は、pm:5.00で閉館だったのでちょろっと見て回っただけですが、また今度来ようと思います。
起きてから何も食べていなかったので、国木田君とジョイフルに行きました。食べながら、話すことはもっぱら文学のこと。
あの作家がどうだこうだとか、文体に表されるメタファーについてだとか。こういう話ができる友人というのは貴重ですね(笑)
一昨日、日常の風景を今後は日記に取り入れたいって書きましたけど、僕にはそうするための思考回路がまだ作られてないんですね。
で、どうすれば回路を構築できるだろうと考えたんですけど、今の僕の論理性や文体を作り上げたのは、やはり学生の頃にしていた「模写」、が大きいと思います。
読書というインプットだけではなく、やはりアウトプットの訓練をするかしないかが文章力の上達の早さに左右してくると思うんです。
僕は学生のころに朝日新聞の天声人語や社説を模写していましたが、同じように小説を模写することによって、情緒的な文章が身に付くだろうと、経験則である程度判断できます。
それと、三島由紀夫は多読よりも同じ本を何度も熟読することを勧めていました。
漱石も一冊の本を読んで思索する「低廻派」であることを提唱していました。
僕は本を読み始めたのが比較的遅くて、その焦燥感から、今までできるだけ多くの本を読もうとしていましたが、文章の構成やスタイル、表現法などを身につけるためには一度接するだけでは到底無理な話だと思うので、決めた本を何度も読んでみようと思います。
今は、漱石の短編集『倫敦塔・幻の盾』を読んでいます。
多様な価値観や表現の世界を広げるには多読が良いと思いますが、自分の中に様々な価値感を蓄えたところで、それを外部に表出する技術を持っていなければ意味がありませんから。二兎追うものは一兎も得ず。
今の僕に、より必要なのは、文章の精度を高めるための熟読だと判断しました。
毎日30分ほどでもいいので「模写」する習慣を作っていきたいですね。
O君と県図書に行ってきました~。
マンションからすぐ近くなんですけど、全然行ってないです
僕は本は借りるよりも購入する派なので、あまり利用価値がないからなんですけど、やっぱりその蔵書の量は半端ないですし、本屋じゃまず手に入らない廃盤の書籍を読むことができたりするので、やっぱり利用すべきかもしれませんね。
今日は、pm:5.00で閉館だったのでちょろっと見て回っただけですが、また今度来ようと思います。
起きてから何も食べていなかったので、国木田君とジョイフルに行きました。食べながら、話すことはもっぱら文学のこと。
あの作家がどうだこうだとか、文体に表されるメタファーについてだとか。こういう話ができる友人というのは貴重ですね(笑)
一昨日、日常の風景を今後は日記に取り入れたいって書きましたけど、僕にはそうするための思考回路がまだ作られてないんですね。
で、どうすれば回路を構築できるだろうと考えたんですけど、今の僕の論理性や文体を作り上げたのは、やはり学生の頃にしていた「模写」、が大きいと思います。
読書というインプットだけではなく、やはりアウトプットの訓練をするかしないかが文章力の上達の早さに左右してくると思うんです。
僕は学生のころに朝日新聞の天声人語や社説を模写していましたが、同じように小説を模写することによって、情緒的な文章が身に付くだろうと、経験則である程度判断できます。
それと、三島由紀夫は多読よりも同じ本を何度も熟読することを勧めていました。
漱石も一冊の本を読んで思索する「低廻派」であることを提唱していました。
僕は本を読み始めたのが比較的遅くて、その焦燥感から、今までできるだけ多くの本を読もうとしていましたが、文章の構成やスタイル、表現法などを身につけるためには一度接するだけでは到底無理な話だと思うので、決めた本を何度も読んでみようと思います。
今は、漱石の短編集『倫敦塔・幻の盾』を読んでいます。
多様な価値観や表現の世界を広げるには多読が良いと思いますが、自分の中に様々な価値感を蓄えたところで、それを外部に表出する技術を持っていなければ意味がありませんから。二兎追うものは一兎も得ず。
今の僕に、より必要なのは、文章の精度を高めるための熟読だと判断しました。
毎日30分ほどでもいいので「模写」する習慣を作っていきたいですね。
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