酸いも甘いもみな水の中へ
2009年1月15日 日常
株をやり終えた後が一番安らかに眠れます(笑)
直後ですね
夜になるとまた明日のことが気になりだして、眠れなくなりますから。
ということで、株が終わって3時半ごろ眠りにつきます。
そして夜6時ごろ起きて晩御飯食べて、映画を見に行きました。
今日は2本、ジャン・ルノワールの『素晴らしき放浪者』と『獣人』です。
ジャン・ルノワールは超巨匠ですが、今まで見たことなかったんです。というのが、どこのレンタルショップにも置いてなかったんですね
ですから、今回のような企画が上がってくれてとてもありがたいです。
こんな映画を上映してくれる映画館なんて、全国でもそうそうないでしょう。
『素晴らしき放浪者』はある自由主義な書店の主人が、自殺を試みる放浪者を助けて自宅に住まわせることから引き起こるドラマです。
書店の主人は、使用人と不倫関係にありますが、善良なブルジョアです。
助けた放浪者は感謝の念を持たぬ、これまた別の意味で自由な人間で奔放です。しかし主人はそんな放浪者の行為を本につばを付ける以外は寛容に受け入れます。
放浪者は家で奥さんに手を出し、奥さんと愛人関係を結びます。実際泥沼なわけですが、お互いにばれても、修羅場にはならず人々全員が、不満はあっても基本的におおらかです。
そして、人の気持ちが次々にうつろいます。
最初は放浪者を野蛮人と毛嫌いしていた奥さんは、関係を結んでから放浪者を恋人として見ます。
使用人も毛嫌いしていましたが、主人があげた宝くじが当たったことがわかると、なんと放浪者と結婚し、主人も奥さんも、お互いの不倫をそのことで丸く治めるわけです。
結婚を祝福する主人の顔は、妬みも未練もなく、満面の幸福が表れています。式も終わり、みんなで船に乗り、漕いでいるとき、浮浪者が水面に浮かんだ花を取ろうとして、船が転覆し、浮浪者はみんなと離れます。
浮浪者は、そのままみんなの元には戻らずに、服を脱ぎ捨て、帽子を捨て、近くの案山子の服を着て、再び浮浪者として去っていきます。
ここに描かれているのは自由です。そして、浮浪者は自由に対して恐怖を持たず、あっけらかんとしています。
説明書を読むとルノワール映画の水は自由の象徴だそうです。
僕の見方では、水に浮かぶ花は、花嫁の使用人と対比される欲望のようにも映ります。放浪者は、花を取ろうとして、船は転覆しみんなと離れ離れになりますが、それは、放浪者が花という対象に心移りして自由の象徴の水に身を投じる。自由の河に流された男は、再び放浪者として人生を歩むわけです。
人の心は無常で、それゆえに関係はもろくも崩れ去ることがある、けれども、それでも人生は続くのです。
放浪者は、つまり精神です。素晴らしき放浪者、というルノワールの放浪者に対する賛美は、「素晴らしき自由な精神」に置き換えることができるのだと思います。ルノワールはそういった自由な心に賛美を送っているのだと思いました。
『獣人』はゾラの原作を元にしているため、同じルノワールの作品でも『素晴らしき放浪者』のように牧歌的ではなく、説明書の言葉を借りればルノワールらしからぬ作品と言えるのかもしれません。
この作品は病気で突然獣のように凶暴になってしまう男性が主人公です。
この作品は、放浪者とは逆に欲に執着してそれゆえに破滅へと向かってしまう人間を描いています。
ある主婦の不倫が夫にばれて、夫は嫉妬から主婦を強制的に強暴させ不倫相手を殺害します。主人公は女性と夫が殺人犯であることを知っていますが、秘密にし、主婦と恋仲になります。しかし主婦は夫を殺さなければ恋仲に離れないといい主人公は殺害を企てますが、例の病気が出て、夫ではなく主婦のほうを殺してしまうのです。
主人公は、機関士の仕事場から汽車の運行中に線路に身を投げ自殺します。
『素晴らしき放浪』が、ルノワールの思う人間のあるべき理想を描いているのに対し、この作品は人間が執着により陥ってしまう悲劇という現実の側面が描かれており、ルノワールの人間に対する哀嘆がこめられているように感じました。
直後ですね
夜になるとまた明日のことが気になりだして、眠れなくなりますから。
ということで、株が終わって3時半ごろ眠りにつきます。
そして夜6時ごろ起きて晩御飯食べて、映画を見に行きました。
今日は2本、ジャン・ルノワールの『素晴らしき放浪者』と『獣人』です。
ジャン・ルノワールは超巨匠ですが、今まで見たことなかったんです。というのが、どこのレンタルショップにも置いてなかったんですね
ですから、今回のような企画が上がってくれてとてもありがたいです。
こんな映画を上映してくれる映画館なんて、全国でもそうそうないでしょう。
『素晴らしき放浪者』はある自由主義な書店の主人が、自殺を試みる放浪者を助けて自宅に住まわせることから引き起こるドラマです。
書店の主人は、使用人と不倫関係にありますが、善良なブルジョアです。
助けた放浪者は感謝の念を持たぬ、これまた別の意味で自由な人間で奔放です。しかし主人はそんな放浪者の行為を本につばを付ける以外は寛容に受け入れます。
放浪者は家で奥さんに手を出し、奥さんと愛人関係を結びます。実際泥沼なわけですが、お互いにばれても、修羅場にはならず人々全員が、不満はあっても基本的におおらかです。
そして、人の気持ちが次々にうつろいます。
最初は放浪者を野蛮人と毛嫌いしていた奥さんは、関係を結んでから放浪者を恋人として見ます。
使用人も毛嫌いしていましたが、主人があげた宝くじが当たったことがわかると、なんと放浪者と結婚し、主人も奥さんも、お互いの不倫をそのことで丸く治めるわけです。
結婚を祝福する主人の顔は、妬みも未練もなく、満面の幸福が表れています。式も終わり、みんなで船に乗り、漕いでいるとき、浮浪者が水面に浮かんだ花を取ろうとして、船が転覆し、浮浪者はみんなと離れます。
浮浪者は、そのままみんなの元には戻らずに、服を脱ぎ捨て、帽子を捨て、近くの案山子の服を着て、再び浮浪者として去っていきます。
ここに描かれているのは自由です。そして、浮浪者は自由に対して恐怖を持たず、あっけらかんとしています。
説明書を読むとルノワール映画の水は自由の象徴だそうです。
僕の見方では、水に浮かぶ花は、花嫁の使用人と対比される欲望のようにも映ります。放浪者は、花を取ろうとして、船は転覆しみんなと離れ離れになりますが、それは、放浪者が花という対象に心移りして自由の象徴の水に身を投じる。自由の河に流された男は、再び放浪者として人生を歩むわけです。
人の心は無常で、それゆえに関係はもろくも崩れ去ることがある、けれども、それでも人生は続くのです。
放浪者は、つまり精神です。素晴らしき放浪者、というルノワールの放浪者に対する賛美は、「素晴らしき自由な精神」に置き換えることができるのだと思います。ルノワールはそういった自由な心に賛美を送っているのだと思いました。
『獣人』はゾラの原作を元にしているため、同じルノワールの作品でも『素晴らしき放浪者』のように牧歌的ではなく、説明書の言葉を借りればルノワールらしからぬ作品と言えるのかもしれません。
この作品は病気で突然獣のように凶暴になってしまう男性が主人公です。
この作品は、放浪者とは逆に欲に執着してそれゆえに破滅へと向かってしまう人間を描いています。
ある主婦の不倫が夫にばれて、夫は嫉妬から主婦を強制的に強暴させ不倫相手を殺害します。主人公は女性と夫が殺人犯であることを知っていますが、秘密にし、主婦と恋仲になります。しかし主婦は夫を殺さなければ恋仲に離れないといい主人公は殺害を企てますが、例の病気が出て、夫ではなく主婦のほうを殺してしまうのです。
主人公は、機関士の仕事場から汽車の運行中に線路に身を投げ自殺します。
『素晴らしき放浪』が、ルノワールの思う人間のあるべき理想を描いているのに対し、この作品は人間が執着により陥ってしまう悲劇という現実の側面が描かれており、ルノワールの人間に対する哀嘆がこめられているように感じました。
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