森田療法を自分に当てはめてみる
(2005年3月10日、記述)



僕はあまり話さない人と話をするときに、口が痙攣する。
小さい頃そのことを指摘されてから、僕は人と話すことが恐くなった。笑みを作るとその顔で筋肉が固まり、戻らなくなる。戻そうとすると、ヒクヒクと顔が痙攣する。だから僕は人前で笑わなくなった。すると、今度は無愛想だと思われる。
だから僕は自然に人と話さなくなった。話すときは、頭が真っ白になる。その口のことだけが気になって、話に集中できないからだ。
でも、みんなはそんなに気にならないと言ってくれる、でも、たとえば友達になりたいとか、嫌われたくないと思っていると、その笑みの劣悪さが自分の中で増幅され、耐えられないくらい苦痛になり、結果的に、話したい、友達になりたいのに、自分で、「嫌われる」、「痙攣を指摘される」、という予想を立て、人を避ける、という『はからい』をしてしまう。

しかし、そもそも、そんなに痙攣が変に見えるかはわからないのに、思い込むことはない、それに変に見えても、それだけで人は僕を嫌いになるとは限らない。それに僕はいつも、人を避けて、結果的に、嫌われちゃったりしてる。これじゃ嫌われることを恐れるがために嫌われているという悪循環だ。いつも人を避けた後に後悔に苦しむ。避けるという行為は、本当の僕の望んだ行動ではないからだ。僕は、痙攣など気にせずに、みんなと話したい。友達になりたい。これが僕のよりよく生きるための、偽らざる生の欲求だ。だったら、僕は、痙攣してしまう苦痛を、嫌われるかもしれない不安を『あるがまま』にして人と話をすることを実践するべきだ。そうしないとその人と友達になることはおろか話すことさえも出来ずに、あわよくば嫌われてしまうことにもなりかねない。
しかし、苦痛を『あるがまま』にして話すことで、その人が気にしないこと、もしくは痙攣に気が付いても嫌わないことがわかれば、僕は安心し、話すことが出来だすし、その人とも友達になれるし、いつしか痙攣もしなくなるだろう。そうなれば、僕の欲求、目的はすべて達成され、まさによりよく生きることができるようになるのだ。そしてそのことで自信がつき、いつしか誰と話しても口元が痙攣することが無くなる。
目的本位の行動をとることのメリットは計り知れない。

ではもう一つ。
僕は勉強しなきゃならない。だけど、眠りたい。しかし眠るときっと後悔する。眠らずに勉強すればきっとどんなに辛くても、終ったときに充足感がある。だから、僕は眠気を「ありのまま」にして勉強をしよう。
って、これは生理現象だから、精神作用とは違ってさすがに無理っぽい(笑)眠いときは眠ろうwww



・森田療法

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E7%94%B0%E7%99%82%E6%B3%95
http://www15.plala.or.jp/fujitarou/

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