まだまだ知らない文字が多すぎる
2008年5月22日コメント (2)に言わせると昔の本は、漢字の悉くにルビが振られていたんだそうな。だから、小さな子供でも、単語の意味はわからなくても難しい小説とかでも読み進めていけた。
最近の本は、あまり漢字にルビを振ってない。
これが読書離れの原因の一端にあるんじゃないかとか思ったりする。
僕が本格的に本を読み始めたのは、二十歳の頃。
その頃は、読書は修行だと思ってたし、楽しいというよりも、文字を読むことに慣れていないことから来る苦痛の方が多かった。
それだけ、読み終えたときの達成感は大きかったけどね。
今は、読書を純粋に楽しめる。
読書もスポーツと同じで、読み続けていくうちに、文字に慣れ、読み方、も体得してくる。苦痛じゃなくなってくる。
最初苦痛に感じるのは、テニスのラケットにボールがうまく当たらない状態と同じだと思う。うまく体が動かなくてもどかしいし、ボールが当たらなくてつまらないし、余計な筋肉まで使ってしまうから、筋肉痛になったりして余分に疲れる。
だけどラケットの正しい振り方を覚えて、ボールが当たりだせば、楽しくなるし、奥の深さも実感できてくる。
読書にも、読みかたみたいなのがあって、個々人違うけど僕は最初、文字を一文字一文字、目で追っていた。頭も目も疲れたし、わからない漢字や文字ばかりで楽しくなかっし、内容も把握しづらかった。
当時は、内容よりもとにかく文字を追っていくことに集中した。
それでも、ただ文字を目で辿るだけでも、どんな難しい本も一冊読み終えたら、何かしらわかる部分があるし、得るものがあった。
それを積み重ねていくうちに、文字をある一連なりで把握できるようになり、つまり文字ではなく一つの文章として目で追えるようになったし、内容にもさらに深く吟味できるようになっていった。
要は、始まりは誰だって辛い。でもそれは、読書が苦手なんじゃなくて読書に慣れていないからなんだと思う。
僕のモチベーションは、友人が言った、
「孔子は、一万冊本を読めば、何事にも屈することのない人間になれると言った」
という言葉だった。
人間的に成長したかったからね。
大学生の頃は、電子辞書を持っていなかったし、語彙も豊富じゃなかったから、本のわからない文字一文字一文字、辞書を開いて調べていって、本に読み方と意味を書き込んだり、本一冊のうちでわからなかった単語を抜き出して、パソコンに読み方と意味を打ち出して、それを印刷して小冊子にしたりしてた。
すごい時間がかかったけど、そのおかげで、僕の語彙力も結構進展したのだと思うし、読書力の向上にも大変寄与してくれたと思う。
大学を卒業して、親から電子辞書を譲り受けてからは、読書するときは常に傍らにおいて、わからない文字が出てきたたんびに調べてた。
電子辞書は、すぐに調べられるので、読書のリズムが長いこと中断することもないし、すごい重宝した。
その電子辞書が壊れてしまった。
それからというもの、読書をしてもあまり単語を調べてない。
これでは、前後の文脈からニュアンスは捉えることが出来ても、正確な意味や読みを覚えられない。
かといって読書のリズムを崩したくないからあんまり普通の辞書で調べたりもしない。
これじゃ、語彙量も伸びてかないなあ。
まあ、つまり何がいいたいかというと、欲しいものを挙げれば限がないけれど、今一番欲しいものは、おそらく電子辞書だろうなということなのである。
今度買おうかな。
最近の本は、あまり漢字にルビを振ってない。
これが読書離れの原因の一端にあるんじゃないかとか思ったりする。
僕が本格的に本を読み始めたのは、二十歳の頃。
その頃は、読書は修行だと思ってたし、楽しいというよりも、文字を読むことに慣れていないことから来る苦痛の方が多かった。
それだけ、読み終えたときの達成感は大きかったけどね。
今は、読書を純粋に楽しめる。
読書もスポーツと同じで、読み続けていくうちに、文字に慣れ、読み方、も体得してくる。苦痛じゃなくなってくる。
最初苦痛に感じるのは、テニスのラケットにボールがうまく当たらない状態と同じだと思う。うまく体が動かなくてもどかしいし、ボールが当たらなくてつまらないし、余計な筋肉まで使ってしまうから、筋肉痛になったりして余分に疲れる。
だけどラケットの正しい振り方を覚えて、ボールが当たりだせば、楽しくなるし、奥の深さも実感できてくる。
読書にも、読みかたみたいなのがあって、個々人違うけど僕は最初、文字を一文字一文字、目で追っていた。頭も目も疲れたし、わからない漢字や文字ばかりで楽しくなかっし、内容も把握しづらかった。
当時は、内容よりもとにかく文字を追っていくことに集中した。
それでも、ただ文字を目で辿るだけでも、どんな難しい本も一冊読み終えたら、何かしらわかる部分があるし、得るものがあった。
それを積み重ねていくうちに、文字をある一連なりで把握できるようになり、つまり文字ではなく一つの文章として目で追えるようになったし、内容にもさらに深く吟味できるようになっていった。
要は、始まりは誰だって辛い。でもそれは、読書が苦手なんじゃなくて読書に慣れていないからなんだと思う。
僕のモチベーションは、友人が言った、
「孔子は、一万冊本を読めば、何事にも屈することのない人間になれると言った」
という言葉だった。
人間的に成長したかったからね。
大学生の頃は、電子辞書を持っていなかったし、語彙も豊富じゃなかったから、本のわからない文字一文字一文字、辞書を開いて調べていって、本に読み方と意味を書き込んだり、本一冊のうちでわからなかった単語を抜き出して、パソコンに読み方と意味を打ち出して、それを印刷して小冊子にしたりしてた。
すごい時間がかかったけど、そのおかげで、僕の語彙力も結構進展したのだと思うし、読書力の向上にも大変寄与してくれたと思う。
大学を卒業して、親から電子辞書を譲り受けてからは、読書するときは常に傍らにおいて、わからない文字が出てきたたんびに調べてた。
電子辞書は、すぐに調べられるので、読書のリズムが長いこと中断することもないし、すごい重宝した。
その電子辞書が壊れてしまった。
それからというもの、読書をしてもあまり単語を調べてない。
これでは、前後の文脈からニュアンスは捉えることが出来ても、正確な意味や読みを覚えられない。
かといって読書のリズムを崩したくないからあんまり普通の辞書で調べたりもしない。
これじゃ、語彙量も伸びてかないなあ。
まあ、つまり何がいいたいかというと、欲しいものを挙げれば限がないけれど、今一番欲しいものは、おそらく電子辞書だろうなということなのである。
今度買おうかな。
コメント
多分、無駄な時間を多く過ごしてますから10年程前には(雑誌、コミック、教科書、電話帳、時刻表を除く)突破した記憶がありますから(^_^;)
...はい、未だにリアルにヘタレています。
私が本を読むきっかけは、単純に娯楽でした。
小学校に上がる頃(文字を覚え始めた頃)偶々、手近にあったのが祖母の持ってた旧仮名遣いの文庫本でした。
(おかげで国語の漢字テストは散々でした...笑)
数年前は、ページの厚いものを見かけると手を出さずに入られなかったんですが、最近は、もっぱらラノベ(これも既に死語かな)を嗜む程度です♪
すごいですね!
一万冊ですか〜、僕は、まだ数百冊って所です^^;
最近は忙しくて一冊に数ヶ月を費やしています。。
kajさんは、謙遜されていますが、一万冊どんな本でも読めば、きっと読む前よりかくじつになんらかのものを得ているのではないでしょうか。
僕は読書しだしたのが遅いので、知らない言葉だらけです。
最近は、ページの厚いものはおろか、薄いものもなかなか読めていません^^;