映画 『エンジェル』
1900年代初頭の英国。16歳のエンジェルは田舎町で小さな食料品店を営む母親と2人暮らしのつましい暮らしから目を背け、大時代なロマンス小説の執筆に情熱を傾けていた。やがて自らの出自さえ書き換えてしまうほどの類い稀な想像力と文才で一気に人気作家への道を駆け上がる。幼い頃から憧れていた豪邸パラダイスを買い取り、ノラという有能な秘書も得たエンジェルは、ノラの弟で孤高の画家エスメと恋に落ちる。

近年の映画監督の中で、注目している一人、フランソワ・オゾンの作品。
『まぼろし』を観たとき、巨匠となりうる可能性を感じたわけだが、今回の作品は、ぐっと大衆的な作風になっていて、その分、精神性の緻密さは薄れている。
それが良いことなのか悪いことなのかはわからないが、僕の期待からすれば、若干違ったものであった。
パンフを見ると、「人生の主役でいたい全女性に送る」と銘打たれているが、僕は作品からオゾン監督の冷徹な現実主義をみたような気がした。
エンジェルは、確かに望んだものをすべて手に入れたが、それを持続させることは出来なかった。
エンジェルは、信じれば適うという信念の元、一見すべての願望が叶ったように見えたが、すべてを手に入れた後の彼女の人生は、そこを頂点として転がり落ちていく。
それはつまり、「継続」という願望をエンジェルは手に入れることが出来なかったということだ。
無邪気で奔放で、傲慢で、一途な彼女の思いは、確かに好もしい美点にも映る。人々は彼女の姿に嫉妬し、羨望し、そして愛する。彼女は誰もが持つそういった人間性への憧れを具現している。監督自身も、エンジェルという女性像をけして悪意の元に映し出しているわけではないことは映像を通してよくわかる。
しかし、だからこそ、彼女の人生は、現実とは相容れない悲壮なものとならざるを得ない。
それはどうしてなのか。
つまりそれが現実というものなのだと。
人間が人間である証左なのだと。
無邪気で一途な願望は好もしく美しいが、各々の願望が交差するこの現実においては、そのような一方通行の願望は、破綻する運命にあるのだと。

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