映画 『ジェシー・ジェームズの暗殺』
2008年4月3日 映画〔洋画〕南北戦争にゲリラとして参加し、その後は犯罪集団となったジェシーとその兄フランクが率いるジェームズ一味。彼らが新たに企てた列車強盗計画に、ひとりの若者ロバートが加わった。彼は新聞や本でジェシー一味の活躍を知り、ジェシーに心酔していたのだ。列車強盗を行なった後、一味は分散して身を潜めることに。ロバートはジェシーに側に残るように言われ有頂天になるが……。
犯罪者も、その手腕が卓越しその道のカリスマとなればそこにヒロイズムが生まれる。アンチヒロイズムへの羨望は、いわいる大衆の、体制に対するルサンチマンのはけ口なんじゃないかと思ったりもする。
実際のジェシーがどのような人物だったのかは知らないが、この作品では、アンチヒーローであることを請け負った男の猜疑心と恐怖心をなかなか絶妙に描き出せていると思う、
ジェシーに憧れていたロバートが、結果的にジェシーの命を出汁に名声を得ようとするわけだが、ロバートが実際にこのような卑怯者であったのかどうかは、調べてないので皆目わからない。
が、この作品において、ジェシーへのヒロイズムを高めるために、ロバートの卑劣漢ぶりを強調することが必要だったのだろう。
ジェシーの悪を背負って苦悩しながらも生きる姿に、ある種の人間の強さを見出し、それゆえ人はジェシーに畏怖を覚えるのだと思う。
事件の被害者でない限り、犯罪に対する悪の重さは、人を出汁に使う道義心の欠如と同列、もしくはより軽く感じられるという心理作用は、戦争で爆撃の場面より、一人の人間をジワジワいたぶる場面の方がより残酷性を有していると見えてしまう感覚と通じるものがある。
仲間内で、互いの心理を伺いながらの食卓のシーンは、緊迫感に満ちていて、作品の中でも最もスリルのある場面だ。
静寂の中に、心の激しいやり取りがある。
この映画を退屈だと評する人は、そういう部分に目を向けていないからなんだろうな。
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