僕はずっと奇人に見られていたこともあり、自分は人から好もしく思われない人間だ、という思いが、心の根っこの深い部分にあります。
表層意識が変わってもなかなか、根っこの部分まで変わってはくれないようで、それが対人恐怖のようなものの源泉になっているのだと思います。
そんな僕でも、人間として存在する価値は最低限有している、とは思えるようになりました。
ですが、幼い頃に作られた、自分は「物」である、という観念から抜けだせずに、僕は人に迷惑をかけることを極端に恐れてしまいます。
迷惑をかけずに存在するだけでも、自分の幸せは追求していける。
過去の自分が、こういう思いから、一人でも楽しめる読書や映画に傾斜していったことも自然だといえるのかもしれません。
社会に出て、そんな僕もずいぶん変わってきたように思います。
ですが、まだまだ道は長いです。
僕には、対象恒常性というものが欠如しています。
対象恒常性とは、相手との関係(友情でも愛情でも信頼でも)が継続しているという感覚のことです。
僕はこの対象恒常性がすぐに揺らぎます。
これは境界性人格障害の人が不安定になる原因にあげられるのですが、些細な言動や、行動によって、すぐに対象恒常性が揺らぎ、精神的に均衡が崩れてしまうんです。
僕は内省による論理という武器を手に、そういった感情を論破することで、かなりの部分克服したんですけど、この対象恒常性というやつはなかなかドスンと根を張ってはくれません。
欝のように長くはなく、一日の中で短いスパンで現れます。
内面の変調は、自分でも自覚できますから、まさにそのとき僕の中で不安定な感情とさまざまな論理の武器が戦いを繰り広げてられるわけです。
しゃべれなくなったり、目を合わせられなくなったり突然なってしまうのは、相手にとってはなんともない仕草や言動に、僕の境界的な内面が敏感に反応してしまうが故なのです。
僕の対象恒常性はすぐに揺らぎますが、多くのボーダーの人に見られるように、再び安定するのに多くの時間を要しません。
これは、僕が長いことかけて築き上げた論理のおかげだという自負があります。
ボーダーの人は、核となるアイデンティティが一貫していない傾向にありますが、僕は自分でアイデンティティとなりうる考えを導き出すことが出来たので、何かのきっかけがあれば、比較的早く、精神的な不安定を解消することが出来るようになりました。
ですが、僕が不安定になっている間に接した人々は不快を覚えることもあろうかと思います。
それを思うと申し訳ない気持ちで一杯です。
僕の情緒の変調は、どこの誰のせいでもなく、100%、僕自身の弱さからきており、僕自身の責任以外の何ものでもありません。
ですから、僕がこれから乗り越えていかなければならない大きな壁なのです。
僕のこの精神的な不安定さに付き合ってくのは大変だろうと思います。自分自身しんどいですから。
そんな中、こんな僕に対して友人でい続けてくれる人たち皆に、僕は感謝の念を禁じえません。
友人でいてくれて、ありがとう。
表層意識が変わってもなかなか、根っこの部分まで変わってはくれないようで、それが対人恐怖のようなものの源泉になっているのだと思います。
そんな僕でも、人間として存在する価値は最低限有している、とは思えるようになりました。
ですが、幼い頃に作られた、自分は「物」である、という観念から抜けだせずに、僕は人に迷惑をかけることを極端に恐れてしまいます。
迷惑をかけずに存在するだけでも、自分の幸せは追求していける。
過去の自分が、こういう思いから、一人でも楽しめる読書や映画に傾斜していったことも自然だといえるのかもしれません。
社会に出て、そんな僕もずいぶん変わってきたように思います。
ですが、まだまだ道は長いです。
僕には、対象恒常性というものが欠如しています。
対象恒常性とは、相手との関係(友情でも愛情でも信頼でも)が継続しているという感覚のことです。
僕はこの対象恒常性がすぐに揺らぎます。
これは境界性人格障害の人が不安定になる原因にあげられるのですが、些細な言動や、行動によって、すぐに対象恒常性が揺らぎ、精神的に均衡が崩れてしまうんです。
僕は内省による論理という武器を手に、そういった感情を論破することで、かなりの部分克服したんですけど、この対象恒常性というやつはなかなかドスンと根を張ってはくれません。
欝のように長くはなく、一日の中で短いスパンで現れます。
内面の変調は、自分でも自覚できますから、まさにそのとき僕の中で不安定な感情とさまざまな論理の武器が戦いを繰り広げてられるわけです。
しゃべれなくなったり、目を合わせられなくなったり突然なってしまうのは、相手にとってはなんともない仕草や言動に、僕の境界的な内面が敏感に反応してしまうが故なのです。
僕の対象恒常性はすぐに揺らぎますが、多くのボーダーの人に見られるように、再び安定するのに多くの時間を要しません。
これは、僕が長いことかけて築き上げた論理のおかげだという自負があります。
ボーダーの人は、核となるアイデンティティが一貫していない傾向にありますが、僕は自分でアイデンティティとなりうる考えを導き出すことが出来たので、何かのきっかけがあれば、比較的早く、精神的な不安定を解消することが出来るようになりました。
ですが、僕が不安定になっている間に接した人々は不快を覚えることもあろうかと思います。
それを思うと申し訳ない気持ちで一杯です。
僕の情緒の変調は、どこの誰のせいでもなく、100%、僕自身の弱さからきており、僕自身の責任以外の何ものでもありません。
ですから、僕がこれから乗り越えていかなければならない大きな壁なのです。
僕のこの精神的な不安定さに付き合ってくのは大変だろうと思います。自分自身しんどいですから。
そんな中、こんな僕に対して友人でい続けてくれる人たち皆に、僕は感謝の念を禁じえません。
友人でいてくれて、ありがとう。
コメント