僕は今、境界性人格障害の兆候のある男性とメールのやり取りをしている。
彼とメールをしはじめて数年になる。
実際にあったこともある。
会ってみると、普通の好青年に見えた。
だけど、メールだと、その文面が精神状態によって変わってくる。
境界性人格障害とは、依存する相手にわざとひどいことを言い、その人が離れると「ほら、やっぱり自分を見放した」と思う兆候がある。
ひどいときは僕に対する中傷の嵐。
境界性人格障害は医者からも敬遠されがちな厄介な障害で、僕も最初彼とメールをするとき相当の覚悟で望んだことを覚えている。
彼の中傷は本心ではない。
かまって欲しい、わかって欲しいという感情の裏返しなのだと自分に言い聞かせながらメールをし続けた。
僕が最初にやっていったことは、彼に主体性を持たせる事、彼の矛盾を付き、問いかけていくことで、ともに障害の克服を目指すということ。
しかし、彼は何度も同じことを繰り返し、出会い系に僕の名前で登録されたりしたときは、さすがの僕も精神が折れ、一時期、連絡を絶ったこともある。
でも僕は、彼に対する門戸を自分から閉ざしてはいけないと思い、彼の謝罪とともに再びメールを再開した。
僕は彼の自立する手助けをしたい。
なぜなら、僕も幼い頃、境界性人格障害の兆候があり、幼馴染に依存していたから、幼馴染と一緒にいるときは、自分だけかまって欲しくて、ひどいことをした。ボールを思い切りぶつけたり、傘で思い切り叩いたりしてひどいたんこぶを作らせたこともあった。
今の彼と同じ状態。
幼馴染は、当然僕から離れていった。そのとき、他に依存する人物がなかった僕は、初めて、自分自身を見つめた。
そして、そこから、僕の内省の旅が始まったのだ。
僕は一つ一つ、自分の感情の矛盾を理屈で論破していった。
とても苦しい作業だった。おかげで、僕は境界性人格障害を克服することが出来たが、強迫性障害という形で悪化していった。
僕はこの作業をひとりでやっていった。
その辛さを知っている。
僕がそのとき思ったことは、そばに誰か理解してくれる人がいてくれたら、助言してくれる人がいたらどんなにか救われただろうか、ということである。
だから、僕はどんなことがあっても、彼に対して門戸を閉ざさず、理解出来るとまでいかなくても、理解しようと努力する存在でいたいと思ってる。
僕は幼馴染から見放されたショックが、自分の過ち(心の中)を見つめていく切っ掛けとなったが、そのような辛さを与えることなく、僕がいる状態で、彼に心の中を見つめ、闘っていくことに気付いて欲しいと思ってやり取りをしている。
彼は、僕が一回連絡を絶った後、障害を克服するために努力する決意を僕に話し、実際に努力していた。
お互いに約束事を決めた。
彼に考える主体性を持たせるために、わからないことはまず自分で調べる。依存しすぎないように、大事なメール以外は送ってこない。
中傷を言わないように努力する。などなど。
彼はずいぶん変わったように思えたが、いまだ家に引きこもったきり。
僕や、自分の家族の考えや価値観が自分の考えを左右する基準のすべてになってしまっている。
彼は僕と同い年、いまのままだと成長は限界があるし、親が退職した後、自立し生活していくためには、早いうちに少しでも社会と接するほうが良いと、僕はバイトを勧めた。
彼は数日前に仕事の面接を受けたという。
僕は仕事が遅番で、疲れとかから、彼に対するメールの返信が滞ってしまっていた。
面接を受けたことでの精神的な不安感と、僕からの返信がない相乗効果で、彼は不安定になったのだろう。
僕の所属する障害のサークルのチャットに、僕に対する中傷が書かれたと、管理人から連絡があった。
何度もあったことだが、やはりそういうことをされるとさすがに辛い。
僕が彼のメールの返信をしたときには、受信拒否されていた。
今までの努力もまた振り出しか、という思いと悔しさがある。
おそらくまた彼から謝罪と共に連絡が来ると思う。
何度も何度も繰り返されてきたこと。
僕からは、門戸は閉ざさない。
だけど、自分なりに本を読んだりして勉強してきたが、どうすれば、彼が変わっていけるか、いまだ答えはつかめない。
彼が社会に出てみることが一つの突破口になるかとも考えたが、それが正しいともわからない。
ただ、僕は彼がもっと沢山の価値観や考えを知り、実際に人と接することでしか、これ以上の成長は望めないと判断したから今回社会に出てみることを勧めてみた。
どうなることやら。試行錯誤は、今後も続いていくんだろうな。
境界性人格障害とは
http://members.jcom.home.ne.jp/masa-don/image/il/yukkuriisoge2/border_hyou.jpg
僕が書いた、「境界性人格障害のすべて」のレビューが乗っているページ
http://diarynote.jp/d/37292/_225_60.html
彼とメールをしはじめて数年になる。
実際にあったこともある。
会ってみると、普通の好青年に見えた。
だけど、メールだと、その文面が精神状態によって変わってくる。
境界性人格障害とは、依存する相手にわざとひどいことを言い、その人が離れると「ほら、やっぱり自分を見放した」と思う兆候がある。
ひどいときは僕に対する中傷の嵐。
境界性人格障害は医者からも敬遠されがちな厄介な障害で、僕も最初彼とメールをするとき相当の覚悟で望んだことを覚えている。
彼の中傷は本心ではない。
かまって欲しい、わかって欲しいという感情の裏返しなのだと自分に言い聞かせながらメールをし続けた。
僕が最初にやっていったことは、彼に主体性を持たせる事、彼の矛盾を付き、問いかけていくことで、ともに障害の克服を目指すということ。
しかし、彼は何度も同じことを繰り返し、出会い系に僕の名前で登録されたりしたときは、さすがの僕も精神が折れ、一時期、連絡を絶ったこともある。
でも僕は、彼に対する門戸を自分から閉ざしてはいけないと思い、彼の謝罪とともに再びメールを再開した。
僕は彼の自立する手助けをしたい。
なぜなら、僕も幼い頃、境界性人格障害の兆候があり、幼馴染に依存していたから、幼馴染と一緒にいるときは、自分だけかまって欲しくて、ひどいことをした。ボールを思い切りぶつけたり、傘で思い切り叩いたりしてひどいたんこぶを作らせたこともあった。
今の彼と同じ状態。
幼馴染は、当然僕から離れていった。そのとき、他に依存する人物がなかった僕は、初めて、自分自身を見つめた。
そして、そこから、僕の内省の旅が始まったのだ。
僕は一つ一つ、自分の感情の矛盾を理屈で論破していった。
とても苦しい作業だった。おかげで、僕は境界性人格障害を克服することが出来たが、強迫性障害という形で悪化していった。
僕はこの作業をひとりでやっていった。
その辛さを知っている。
僕がそのとき思ったことは、そばに誰か理解してくれる人がいてくれたら、助言してくれる人がいたらどんなにか救われただろうか、ということである。
だから、僕はどんなことがあっても、彼に対して門戸を閉ざさず、理解出来るとまでいかなくても、理解しようと努力する存在でいたいと思ってる。
僕は幼馴染から見放されたショックが、自分の過ち(心の中)を見つめていく切っ掛けとなったが、そのような辛さを与えることなく、僕がいる状態で、彼に心の中を見つめ、闘っていくことに気付いて欲しいと思ってやり取りをしている。
彼は、僕が一回連絡を絶った後、障害を克服するために努力する決意を僕に話し、実際に努力していた。
お互いに約束事を決めた。
彼に考える主体性を持たせるために、わからないことはまず自分で調べる。依存しすぎないように、大事なメール以外は送ってこない。
中傷を言わないように努力する。などなど。
彼はずいぶん変わったように思えたが、いまだ家に引きこもったきり。
僕や、自分の家族の考えや価値観が自分の考えを左右する基準のすべてになってしまっている。
彼は僕と同い年、いまのままだと成長は限界があるし、親が退職した後、自立し生活していくためには、早いうちに少しでも社会と接するほうが良いと、僕はバイトを勧めた。
彼は数日前に仕事の面接を受けたという。
僕は仕事が遅番で、疲れとかから、彼に対するメールの返信が滞ってしまっていた。
面接を受けたことでの精神的な不安感と、僕からの返信がない相乗効果で、彼は不安定になったのだろう。
僕の所属する障害のサークルのチャットに、僕に対する中傷が書かれたと、管理人から連絡があった。
何度もあったことだが、やはりそういうことをされるとさすがに辛い。
僕が彼のメールの返信をしたときには、受信拒否されていた。
今までの努力もまた振り出しか、という思いと悔しさがある。
おそらくまた彼から謝罪と共に連絡が来ると思う。
何度も何度も繰り返されてきたこと。
僕からは、門戸は閉ざさない。
だけど、自分なりに本を読んだりして勉強してきたが、どうすれば、彼が変わっていけるか、いまだ答えはつかめない。
彼が社会に出てみることが一つの突破口になるかとも考えたが、それが正しいともわからない。
ただ、僕は彼がもっと沢山の価値観や考えを知り、実際に人と接することでしか、これ以上の成長は望めないと判断したから今回社会に出てみることを勧めてみた。
どうなることやら。試行錯誤は、今後も続いていくんだろうな。
境界性人格障害とは
http://members.jcom.home.ne.jp/masa-don/image/il/yukkuriisoge2/border_hyou.jpg
僕が書いた、「境界性人格障害のすべて」のレビューが乗っているページ
http://diarynote.jp/d/37292/_225_60.html
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