映画 『UNLOVED』
役所勤めの地味なひとりの女性がふとしたことから出会ったまったく対称的なふたりの男性と恋に落ち、“自分らしく生きる”ことと、自分を取り巻く現実との間で葛藤する姿を描いた愛憎ドラマ。監督はこれが劇場映画初監督となる万田邦敏。主演に森口瑤子。ヒロインに翻弄される二人の男性を仲村トオルと松岡俊介が演じる。
 影山光子は市役所に勤める30歳過ぎの平凡な女性。職場ではほとんど目立たず、生活もいたって地味なものながら本人にとってはそれなりに不満のない日々を送っていた。しかしある日、仕事のためにたびたび市役所を訪れていたやり手ビジネスマンの勝野にお茶に誘われる。勝野は光子に急速に惹かれていくが、光子は生活レベルの違う勝野に戸惑いを抱く――。やがて、光子は自宅アパートの真下の部屋に引っ越してきた青年、下川と知り合い親しくなる。光子は、勝野と違い、一緒にいる時ありのままの自分でいられる下川にかけがえのないものを感じるのだが……。

彼女の過去を知りたい。
そう思わせる作品だ。
光子は頑なに自分の生活を守り、考えを曲げない。
身の丈だと自分が考える生活の中に閉じこもり、鎖国している。
光子の考え方自体は、共感する部分が多く、立派だとは思うのだが、柔軟性がなく、故に自家撞着に陥ってしまう。
相手を自分の生き方に取り込みはしても、相手の生き方に自分を合わせようとは考えない。
自分の生活と合わせることができなければ、その場で切り捨てるという風にも取れる。
彼女が何故そのような考えに拘泥することとなったのか、彼女の過去に何かがあったのか、考えを敷衍させずにはいられない。
勝野は、そんな光子を自分の生活に取り込もうとしたが、その構図は、光子と下川に当てはめることができないか。
光子は、自分が自分でいられると思い、下川を自分の生活に取り込もうとした、しかし、下川の意志ををくみ取ろうとはしていない。
いや、光子が自身言ったように「自分はこうしかできない。こういう生き方しかできない」のだ。
しかし、下川は光子を切り捨てなかった。
光子の生き方を中心に下川は回っていく。
自分が自分でいられる場所、落ち着ける場所は、普遍ではないと僕は考えている。今の生活に親しめるようになるのにも色々な不安や恐れの経過があったはずだ。誰かと暮らすなら、一人の時と同じにはできないし、変化していかねばならない。他人の人生を許容するということは、自分の生き様の変化を受入れるということに他ならないからだ。

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