同僚が、僕を宗教に入らなくてもいいから、ビデオだけでも見てくれというので、定期的にビデオを見ています。
しかしながら、僕はそれらのビデオを見ても、ほのおそろしさを感じはしても、あまりいい感じは受けないんですね。
ですが、同僚の信じる心を無碍に踏みにじることも本意ではないので、こうしてビデオに付き合っているわけです。
僕はビデオを見るだけで、お経も唱えなければ、手も合わしません。
ですが彼らを否定はしません。

しかし、その同僚が、次の時から数珠を持ってきてくれと言出しました。
これは僕はきっぱりと断ろうと思います。
そもそもビデオを見る条件が、「見るだけ」という話だったのですから。
いくらビデオを見せられても、僕がその宗教に入ることはありません。
なぜなら僕は偶像を崇拝することはしないからです。
それと、その宗教自体が、矛盾を孕んでいるからです。
信者はそこに目を向けませんが、僕が質問すると明確な答えが返ってきません。
そういう部分がすっきりしない限り、その宗教への懐疑は払拭できないです。
マスを扇動するマインドコントロールの部分を感じないわけにはいかないんです。残念ですが。

コメント

kaj
kaj
2007年12月17日1:38

嘘吐きの一人としては、宗教と言うのは全般的に信じられないために「救われない」人間の一人です。
だって、ヒトそのものが矛盾し、自己破たんしている代物でしかないのですから、そこに余分な「便法」は一切必要性を感じてません。
どちらかと言うと、私は「仕掛ける」側の人間で、なおかつそれをして「飯を喰ってる」側ですから(^_^;)

キタム
キタム
2007年12月24日21:56

お久しぶりです^^
ヒトそのものが矛盾しているから、そのヒトが作ったものは必ずどこかしら矛盾を孕みますよね〜。
それでも、「便法」を必要としている人って多いと言うことなのでしょうね。
そういう僕も、自分の中の心を神とするものですが、その心とて矛盾を孕みまくりで^^;だけど、やはりその便法にすがっていると言えるのかもしれません。

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