「楽しさ」と「面白さ」
2007年12月4日 僕の思ったこと仕事場で、隣の同僚と話の中で、同僚が面白いことを言った。
「自分は仕事を楽しいと思ったことなど一度もない」、というのだ。
それにしてはいつもテンション高く、楽しそうだ。
だっていつも笑ってるやン、と言うと、
「面白いけど、楽しくはない。笑ってはいるが、心は満たされない」とのこと。
僕はこれを大変興味深いと思った。
僕は同僚のいつも笑っている、面白がっている姿だけを見て、勝手に彼は楽しいと解釈していた。
しかし、よくよく考えてみると、面白いということが、すなわち楽しいということではない。
確かに、人は悲しみの中にも楽しみを見いだす。恐怖の中にさえ。
だから、映画や読書にも、サスペンスやホラー、猟奇殺人を扱ったもの、哀愁漂うもの、悲劇などのジャンルがあるわけだし、刺激を求め、ジェットコースターに乗ったり、果ては窃盗をするものもいる。
悲劇のヒロイン、なる言葉も、自身が劣等の境遇や感情を有する状態を無自覚に楽しんでいることに対するアイロニーであるとも言える。
同僚の考えでは、「楽しい」とはすなわち「心を満たす」ことであるようだ。
なるほどと思う。
楽しみ、をそう解釈するなら、確かに「面白さ」が心を欠損させる場合もあれば、「悲しさ」や「怖さ」や「苦痛」が心を充足させる場合もあるわけだ。
幸福とは面白さのみをいうのではない。
その人各人により、様様な感情が「楽しみ」へと変質する可能性を持つわけである。
心とは、げに複雑なものだ。
僕は、面白さの一面のみによって彼の感情を断定した自分の浅薄さを恥じぬ訳にはいかなかった。
では同僚は、どういう場合に心を満たすのだろうか。
試しに、パチンコで大当たりしているときは?と問うてみた。
彼は、「それは心が満たされ、楽しい」と即答したのであった(笑)
「自分は仕事を楽しいと思ったことなど一度もない」、というのだ。
それにしてはいつもテンション高く、楽しそうだ。
だっていつも笑ってるやン、と言うと、
「面白いけど、楽しくはない。笑ってはいるが、心は満たされない」とのこと。
僕はこれを大変興味深いと思った。
僕は同僚のいつも笑っている、面白がっている姿だけを見て、勝手に彼は楽しいと解釈していた。
しかし、よくよく考えてみると、面白いということが、すなわち楽しいということではない。
確かに、人は悲しみの中にも楽しみを見いだす。恐怖の中にさえ。
だから、映画や読書にも、サスペンスやホラー、猟奇殺人を扱ったもの、哀愁漂うもの、悲劇などのジャンルがあるわけだし、刺激を求め、ジェットコースターに乗ったり、果ては窃盗をするものもいる。
悲劇のヒロイン、なる言葉も、自身が劣等の境遇や感情を有する状態を無自覚に楽しんでいることに対するアイロニーであるとも言える。
同僚の考えでは、「楽しい」とはすなわち「心を満たす」ことであるようだ。
なるほどと思う。
楽しみ、をそう解釈するなら、確かに「面白さ」が心を欠損させる場合もあれば、「悲しさ」や「怖さ」や「苦痛」が心を充足させる場合もあるわけだ。
幸福とは面白さのみをいうのではない。
その人各人により、様様な感情が「楽しみ」へと変質する可能性を持つわけである。
心とは、げに複雑なものだ。
僕は、面白さの一面のみによって彼の感情を断定した自分の浅薄さを恥じぬ訳にはいかなかった。
では同僚は、どういう場合に心を満たすのだろうか。
試しに、パチンコで大当たりしているときは?と問うてみた。
彼は、「それは心が満たされ、楽しい」と即答したのであった(笑)
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