何を苦しむ
2007年5月2日なるようにしかならないでしょう。
命失うわけじゃなし、最悪発狂したって、それはそれで楽なのかも。
自分を苦しめているものがいったい何なのかと思う。
自分が守っているもの、背負っているものが果たしてほんとに自分にとって大切なものなのかと自問してみる。
案外、大切なものなんて、守らなきゃならないものなんて、ほとんどないのかもしれない。
ほとんどは、屑のようなプライド、虚栄心、世間体、そんなもののために四苦八苦しているのかもしれない。
そして、自分自身であること、そのことは蔑ろにしている。
何故だろう。群れであることから離れることへの恐怖があるのではないか。
開き直る、仲間を捜す。より自分が自分でいられる場所を求めて。
それができている人は、とても晴れ晴れしい。幸せそうだ。
でも、多くの人は、僕も含めて、それができていない。
何故恐怖する。
夢を持つ者を嘲笑するな。何かに夢中な者を嘲るな。
何故、同質化しない者を排他する。
そっとしておいてやれないのか。
それに抗うのではなく、受け流すことができるもの、あるいは、排他されることへの覚悟ができる、強い者だけが、自分自身でいられるのでしょう。
僕にその勇気は、今のところなさそうだ。
それが悔しい。
命失うわけじゃなし、最悪発狂したって、それはそれで楽なのかも。
自分を苦しめているものがいったい何なのかと思う。
自分が守っているもの、背負っているものが果たしてほんとに自分にとって大切なものなのかと自問してみる。
案外、大切なものなんて、守らなきゃならないものなんて、ほとんどないのかもしれない。
ほとんどは、屑のようなプライド、虚栄心、世間体、そんなもののために四苦八苦しているのかもしれない。
そして、自分自身であること、そのことは蔑ろにしている。
何故だろう。群れであることから離れることへの恐怖があるのではないか。
開き直る、仲間を捜す。より自分が自分でいられる場所を求めて。
それができている人は、とても晴れ晴れしい。幸せそうだ。
でも、多くの人は、僕も含めて、それができていない。
何故恐怖する。
夢を持つ者を嘲笑するな。何かに夢中な者を嘲るな。
何故、同質化しない者を排他する。
そっとしておいてやれないのか。
それに抗うのではなく、受け流すことができるもの、あるいは、排他されることへの覚悟ができる、強い者だけが、自分自身でいられるのでしょう。
僕にその勇気は、今のところなさそうだ。
それが悔しい。
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