壊してみるのも一つの手さ。
壊してみると、今まで自分が守ってきたものが、ほんの些細なことだったってことが分かるさ。
それで、君の世界は大きくなる。
今まで君が苦しんできたものが、いったい何だったのか。
そんなもので苦しむ必要なんて無かったんだと気がつくさ。
君は、それにより、人とのコミュニケーションも円滑になり、本来の君を発見するだろう。明るく、楽しく、人見知りなぞしない、君を、思いやれる君を。無駄に、君の思いとは逆の結果に導いてしまう、その君の強固な対人不信とももうおさらばだ。
もう誰も、君を嫌わない。誰からも好かれる君が待ってるんだ。
ストレスにならず、自分の思い通りの仕草を取れるようになるんだ。それで、君は君の本心とは違う結末、好かれたいのに、嫌われるという不本意な結果を回避できるんだ。
さあ、試してごらんよ。壊してごらんよ。
。
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君はなぜ今までそれを守ってきたのかな?
それは、そんなに簡単に壊してしまえるほど君にとってどうでもいいものだったのだろうか。もう一度じっくり考えてごらん。
君は、それを持ち続けてきたから、君自身でいられたんだろう。
君のアイデンティティを君は壊していいのかい?
壊してできあがる君はもう君じゃない。
楽になる?分からない。君が築き上げてきた論理、倫理。すべてが瓦解するのに楽になると思うかい?
君は、楽になどなりはしない。君は、それを壊すことにより、今までの君と正反対の君にならざるを得ない。
君が今までそれを守ってきたのは、君をこんな風にした奴らと同じにはなりたくなかったからなはずだ。
君がそれを壊すということは、君は奴らと同じになるということ。君は君の過去を見放す。過去のない君はもう君じゃない。
君は、もう誰かを傷付けても苦しまないだろう。君を傷付けた奴らと同じ人間になってしまった君は、もう誰かを傷付けることに呵責を感じる正当性を失うからだ。
君はいうだろう。人間は弱いから仕方ないんだ。人間とは元々そういう生き物だ。
君は、それで楽になれるか?君が望んだ解放とはそれなのか?
君は、それを壊すべきじゃない。それは、君自身が一番よく知っているはずだ。
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壊してごらん。。。。。。。。。。守るんだ。。。。。。。
壊してみると、今まで自分が守ってきたものが、ほんの些細なことだったってことが分かるさ。
それで、君の世界は大きくなる。
今まで君が苦しんできたものが、いったい何だったのか。
そんなもので苦しむ必要なんて無かったんだと気がつくさ。
君は、それにより、人とのコミュニケーションも円滑になり、本来の君を発見するだろう。明るく、楽しく、人見知りなぞしない、君を、思いやれる君を。無駄に、君の思いとは逆の結果に導いてしまう、その君の強固な対人不信とももうおさらばだ。
もう誰も、君を嫌わない。誰からも好かれる君が待ってるんだ。
ストレスにならず、自分の思い通りの仕草を取れるようになるんだ。それで、君は君の本心とは違う結末、好かれたいのに、嫌われるという不本意な結果を回避できるんだ。
さあ、試してごらんよ。壊してごらんよ。
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君はなぜ今までそれを守ってきたのかな?
それは、そんなに簡単に壊してしまえるほど君にとってどうでもいいものだったのだろうか。もう一度じっくり考えてごらん。
君は、それを持ち続けてきたから、君自身でいられたんだろう。
君のアイデンティティを君は壊していいのかい?
壊してできあがる君はもう君じゃない。
楽になる?分からない。君が築き上げてきた論理、倫理。すべてが瓦解するのに楽になると思うかい?
君は、楽になどなりはしない。君は、それを壊すことにより、今までの君と正反対の君にならざるを得ない。
君が今までそれを守ってきたのは、君をこんな風にした奴らと同じにはなりたくなかったからなはずだ。
君がそれを壊すということは、君は奴らと同じになるということ。君は君の過去を見放す。過去のない君はもう君じゃない。
君は、もう誰かを傷付けても苦しまないだろう。君を傷付けた奴らと同じ人間になってしまった君は、もう誰かを傷付けることに呵責を感じる正当性を失うからだ。
君はいうだろう。人間は弱いから仕方ないんだ。人間とは元々そういう生き物だ。
君は、それで楽になれるか?君が望んだ解放とはそれなのか?
君は、それを壊すべきじゃない。それは、君自身が一番よく知っているはずだ。
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壊してごらん。。。。。。。。。。守るんだ。。。。。。。
コメント
私自身の手で壊せるような代物なら放っておいても壊れるでしょうし、また別の誰かが壊してしまえば善い。
何も自分の手を汚す事もないし...何よりも、それすらも億劫だからです(笑)
また、私は私自身を「目的を持たない」道具と定義づけするのを好むため、誰かが私を使う分には「守る」ためであったとしても「恨みを晴らす」ためであったとしても理由の些細な違いは気にしません...というか、気にするしないと言った自我の明確な輪郭線を持ちえません。
まぁ、是が倖なのか、どうなのか判らないのですが、ただ一つっだけ自分に課している代物があります、それは...
「如何なるルールも自分に科さない」っていうイカサマ札だけです♪
この日記は、現在の僕の心の中にある、相反する、しかし確実に存在している思考の有り様を文章化してみたものです。
詳しく書いたら、もっと長くなるのかもしれませんが、最近は、なかなか日記を書く時間がなくて^^;
僕も出来るだけ、〜すべきという命題を持ちたくないんですが、どうやら、現在の僕の心の中には、〜すべき、という思考が存在しています。ある意味、〜すべきという思考を払拭できたら、僕の強迫性障害も治るのだろうと思います。
ですが、過去の自分に比べれば、ずいぶん軽減している実感が持てます。
最初の方の日記に書いたこともありますが、自分自身が道具と仮定していた時期が、昔僕にもありました。
そのときは、楽だったことは確かです。
でももしかしたら、kajさんと捉え方が違うかもしれませんが。
人間の脳というやつは、なかなか厄介ですね^^;