厭なこと、辛いこと、苦しいことのない人生なんてないんです。

いわば空気と一緒、空気のようにあるものです。
空気を消すなんてできないのと同じであって当たり前のもの。
これから先だっていくらでも厭なこと辛いこと苦しいことはあるんです。あるのが当たり前なんだから。当たり前のものなんだから、消すことのできないものなんだから、あくせく苦しむのは馬鹿らしい。これからもあるとわかっているものを苦しむのは馬鹿らしい。

あって当たり前のもの。

ネットサーフィンでそういった考え方をみつけました。
一つの見方ですね。

ちょっと展開させて、人生っていう生活のスペースがあります。
僕達は色んな土地を歩き回るように人生というスペースを動きます。
それぞれの土地には、それぞれの空気があります。
美味しい空気、まずい空気。綺麗な空気、汚れた空気。
汚れた空気は苦しいけれど、そんな土地にも楽しいことや良いことはたくさんありますな。
都会の空気は汚れていても基本僕達は都会に住んでる。
たまにピクニックで森林浴でもしましょうや。綺麗な空気、美味しい。心が満たされる。だけどやっぱそこにずっといることは難しいでしょ。

そして何より、僕達は空気がなきゃ生きられない。どんな空気であってもね。汚れた空気すってるからって、空気がなくなりゃいいのとは思わないでしょ。
だから、辛いときに辛さなくなれなんて思っても意味ないんです。

ん〜、もうちょっと詰めて設定してみても面白そうだな。
でもめんどくさいからやめた。

コメント

ミルク
ミルク
2007年3月12日22:33

こんばんわ。
人間のドロドロした部分は本当に嫌ですね。
でもきっと私の中にも嫌な部分はあります。人間ですからね。

辛いことをあって当たり前と思う見方。
これを実践できれば素晴らしいでしょうね。
私は正論は通していいとずっと思ってきました。
それは今の社会ではストレスが溜まりました。
通らないからです。
そのため、人生に希望がなくなりました。

それでも私達はこの生き辛い社会で生き続けなければなりません。
辛くて当たり前の精神を貫けるかどうか努力してみます。
希望を捨てずに。
お互い生き辛い社会ですが、頑張りましょう。

キタム
キタム
2007年3月13日4:05

ミルクさん、こんばんわ。

ソクラテスはこう言いました。多くの人が選び取る選択が社会の必然となる。しかし、必然がいつも正しいとは限らない。
しかし、人々は、必然が常に正しいと思いこみ、それが正義であると、倫理であると教えていました。
ソクラテスは、正論を通したために、自ら毒を飲み死にました。

人の世とは、今も昔も変わっていませんね。
必然が正しいとは限らない。これに気づいてしまったが故に生きづらくなってしまうのですね。
社会の必然の流れに任せて生きることは、世の中の差別や偏見に眼をつむることにもなります。

今の世の中は生きづらいですが、僕達は、自分の良心には、正直でいられます。必然の流れの誤りに気づかない人たちは、ある意味、幸せかもしれませんが、自分たちの良心に背いていることに無自覚です。

ミルクさんの魂には希望があります。
世の中の必然の誤りに気づき、自分の良心に正直でいようとする人は、常に魂に希望を宿していると思います。
魂に希望を宿している限り、人生は開かれていく。
僕はそう信じています^^

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