壺の上にリンゴが置いて在る
2007年2月18日 TV今日久〜しぶりに、まともにテレビを見ましたよ。
新日曜美術館で、岸田劉生という画家の特集をやっていたんですけど、なにげに面白くて最後まで見てしまいました。
麗子微笑という作品でとても有名ですが、この人、リンゴに大変こだわっていたみたいですね。
リンゴはそれ自体で充実している。何故そんなに充実しているのか。その存在に見せられた劉生は、リンゴを描き続け、リンゴの中に芸術の神髄を見るのです。リンゴの赤、それは、麗子の赤です。麗子とはリンゴです。
壺の上にリンゴが置いて在る。というタイトルの絵があります。
リンゴが置いて「いる」じゃないんです。
置いて「在る」なんですね。あくまでリンゴが主体性を持ってその存在を放っている。
劉生にとってリンゴとはそういう物であったのです。
そして、その絵を見た我々も、否応なくそのこと、リンゴの充実性を感じざるを得ない。
一つのことを突き詰めて考える、そのすばらしさ。
そこに一点の光をみつけることができるのも突き詰めることができる者の特権でしょう。
うらやましい。。と思いました。
新日曜美術館で、岸田劉生という画家の特集をやっていたんですけど、なにげに面白くて最後まで見てしまいました。
麗子微笑という作品でとても有名ですが、この人、リンゴに大変こだわっていたみたいですね。
リンゴはそれ自体で充実している。何故そんなに充実しているのか。その存在に見せられた劉生は、リンゴを描き続け、リンゴの中に芸術の神髄を見るのです。リンゴの赤、それは、麗子の赤です。麗子とはリンゴです。
壺の上にリンゴが置いて在る。というタイトルの絵があります。
リンゴが置いて「いる」じゃないんです。
置いて「在る」なんですね。あくまでリンゴが主体性を持ってその存在を放っている。
劉生にとってリンゴとはそういう物であったのです。
そして、その絵を見た我々も、否応なくそのこと、リンゴの充実性を感じざるを得ない。
一つのことを突き詰めて考える、そのすばらしさ。
そこに一点の光をみつけることができるのも突き詰めることができる者の特権でしょう。
うらやましい。。と思いました。
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