ISBN:4101121028 文庫 安部 公房 新潮社 ¥460
自己の存在は、なんによって規定されるのか。
名前というものが、公房の作品には重要な鍵となっているようにも思えます。この世界に、しっかり理性を持つよう教育された人間に、名前を持たない人間はいるでしょうか。もしいるなら、その人は自己をどう定義し、どう世界を解釈しているのでしょうか。自己と他者の区別に名前が重要な役割を果たしている。
さて、自己と他者、壁と自由。自己であることはそれ自体が壁になり、しかし壁であることは自由であることと同意である。
所詮我々が意識する世界など、その程度の現実でしかないのです。
S・カルマ氏を読んで、ゴーゴリの「鼻」を思い出し、バベルの塔の狸は、純粋に面白かったです。赤い繭、はどこかで読んだことあるような記憶が。。
ある朝、突然自分の名前を喪失してしまった男。以来彼は慣習に塗り固められた現実での存在権を失った。自らの帰属すべき場所を持たぬ彼の眼には、現実が奇怪な不条理の固まりとうつる。他人と接触に支障を来たしマネキン人形やラクダに奇妙な愛情を抱く。そして・・・・・・。独特の寓意とユーモアで、孤独な人間の実存的体験を描き、その底に価値逆転の方向を探った芥川賞受賞の野心作。安部公房と聞いて思いつくのは、カフカ、シュールレアリズム、実存。まだ三作しか読んでいないけど、一貫してカフカ的で、シュールで、そして実存を問うていますね。
自己の存在は、なんによって規定されるのか。
名前というものが、公房の作品には重要な鍵となっているようにも思えます。この世界に、しっかり理性を持つよう教育された人間に、名前を持たない人間はいるでしょうか。もしいるなら、その人は自己をどう定義し、どう世界を解釈しているのでしょうか。自己と他者の区別に名前が重要な役割を果たしている。
さて、自己と他者、壁と自由。自己であることはそれ自体が壁になり、しかし壁であることは自由であることと同意である。
所詮我々が意識する世界など、その程度の現実でしかないのです。
S・カルマ氏を読んで、ゴーゴリの「鼻」を思い出し、バベルの塔の狸は、純粋に面白かったです。赤い繭、はどこかで読んだことあるような記憶が。。
コメント
小説ではなく、もっと生に近い阿部公房氏の「声」を聴くことが出来ますから(あ〜できれば、発表時代順に。改定されるたびに、その時代ごとに彼が考えただろう事が、びんびん伝わってきますから)
安部公房には、大変興味を抱いているので、そのうち手に入れることになると思います^^
安部公房は演劇にも力を入れていたみたいですね。
なかなか読む暇はありいませんが、時間をみつけて、ちょこちょことでも公房に接していけたらなあと思います。
壁の方が先なんじゃないかなあ。
しろりんも村上春樹を感じたんだね〜。実は僕も、公房を読みながら、春樹は公房の影響が色濃いなあと思ったよ。
その公房は、カフカの影響が色濃くて、村上春樹は「海辺のカフカ」を書いて、文学の襷がけリレー。
おそらく野心作や実験作って言う言葉は、評価の言葉って言うよりも、安部公房のその作品にかけたと思われる意気込みを想像して、つけられた形容ではないかと。
ちなみに、最近僕はブラックゾーンだったけど、薬を飲んでどうにかグレーゾーンに持ち直しました^^;
僕も滅私したいと思うことがあるよ〜。私は貝になりたい。海になりたい。でも奉公はしなくていいやw
拘泥してしまう人間、それこそ人間が幸せを感じるゆえんであり苦悩するゆえんでもありますな〜。
ムーディー勝山って知らない^^;聴いてみるね〜。
フランキー堺は、僕が評価するにかなりの名優だよ。「幕末太陽傳」を機会があったら見てみてね。
それにしても、今も心にずーんとのし掛かる得もしれぬ重み。
薬がなかったら、耐えられてないだろうなあ、抑うつになってるだろうなあと予想がつくよ。
でも、ひとまず薬のおかげでグレー。正確にはダークグレーくらいかな。でも多少は浮上したと言うことでオッケー^^
しろりん、空でも中身が詰まってても、元気なのはいいことよ^^しろりんの言葉の応用です。
みうらじゅんに隠し子か〜。ほんとにテレビ見てないから全然知らなかった^^;birdってだ〜れ?