僕にも、信仰している神があります。
それは、仏陀でもキリストでもマホメットでもありません。
その神は、僕の心の中にだけ存在します。

名前をつけるとすれば、僕の「心」以外にありません。
ときとして、神様は、キリストと同じ考えをしたり、仏陀であったり、はたまた、誰にも当てはまらなかったりします。

ただ、僕の神について言えることはといえば、僕の良心の部分と多大に抵触しているということ、前向きであるということだと思います。

僕は根から前向きな人間ではありません。むしろ、ネガティブで、マイナス思考が人一倍強い方です。だからこそ、僕は、この神様を信仰しているのです。
日々、この信仰が強固なものになっていくのがわかります。

18歳の同僚は、前向き症候群と自分のことをいいます。
僕から言わせれば、それは、彼自身が彼の神に近い存在であるということになります。根から前向きな人は、信仰する必要はないでしょう。それは僕にはうらやましい限りです。
彼のようになれればと思います。

僕は僕の神がこのような存在であることをうれしく思います。
いつか僕の神に僕が少しでも近づける存在になれることを願う気持ちがある限り、この信仰が途絶えることはないでしょう。

僕はこの神のおかげで、以前よりも早く立ち直ることができるように思えます。

ある本に、
「神々が人間に、憤怒や復讐の感情から、憎悪の気持ちまで付与されたからには、そうした感情が人間生活に必要欠くべからざる要素だから」
と書かれてありましたが、悲しみや、悔しさや慚愧の念にも同じことが言えます。

神がこれらの感情を付与してくれたのは、僕にとって必要だったから、それ以外にありません。

苦悩の中にあっても、前向きであり続けること、両者は決して相容れないものではなく、両立するものであると信じます。
僕の中の神は、苦悩を否定しません。
苦悩を受け入れられるようになること、そして希望を失わないこと。自分を信じられること。
そうなっていくことこそが、僕の中の神に、僕が近づくことなのだと思います。

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