人類の未来は過去にある。
同様に個人の未来も、過去にある。
人間は、過去を蔑ろにする。
もう過ぎ去ってしまったことだから?
人間は、自信過剰だ。
自分の未来が、常に過去よりも秀でたものだと思ってる。
自分は、過去よりも常に成長してると思ってる。
自分が、過去よりも退化した部分のことなど考えない。
たとえ、成長しなくとも、過去よりも悪くなることはない。
その過信が、未来において人間を、過去と同じ過ちへいざなう。
人間は進化した。
物質的に。。。?
精神的に。。。?
肉体的に。。。?
ではなぜ吾人は、そして歴史は、同じことを繰り返すのだ。

吾人は、古典を読む。
それが、新たな知見をもたらしてくれるからである。
古典とは、過去の知恵。
吾人が古典を紐解く時、それは過去を振り帰る行為である。
人類の過去を。
そしてそこに、吾人が、気付かなかった、はるかな進化の知恵を見る。
いや、それは、吾人の退化を意味するのか?

人類の未来は過去にある。
それは、過去が、進化の種の宝庫だから。
僕の過去も、同様に。
僕は過去を振り返る。
僕は、僕の古典を紐解く。
過去には、失敗という子宮がある。
そのなかには、新たな知恵が胚胎している。
僕は過去を振り返る。
すると、新たな知恵が産声をあげる。
その子は、僕が未来において、過去と同じ過ちを繰り返す前に、新たな道を示してくれるだろう。

新たな道。
それこそが、過去より一歩成長を遂げた未来。
僕は歴史の回廊から、抜け出す。
未来と称する過去から抜け出す。

僕は過去を振り返る。
本当の未来を歩むために。

過去を振り返らないものは、未来の仮相をした、過去の回廊を、回りつづけ、歴史を繰り返す。

そして訪れる失敗が、過去と同じものであることに、気付かない。

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