人生という幸福 (三年前の日記再掲)
2007年2月10日コメント (2)痛覚のない動物はかわいそうだ。痛みを味わえないから。
幸せなだけの人はかわいそうだ。悲しみを知らないから。
挫折したことのない人はかわいそうだ。失敗を知らないから。
この前、ある人がテレビで言ってたなあ。人間の死亡率100%。
生きとし生きるものみんな死んじゃうんだよ。
死んだらどうなるって、楽になるの?
そんなのわかんないじゃん。
死んだら、他の世界が待ってるかもしれない。
そこは、僕たちが生きてる現実よりも苦しいかもしれない。はたまた、無かもしれない。
無って楽なのかね?そんなのわかんないじゃん。
苦しいのかもしれない。
でも、ただ一ついえることがあるよね。
死後は、今とまったく違う状況に陥るわけだよ。
それが無であれ、楽であれ、苦であれ。
そして、おそらく、僕たちが今、持っている感情や感覚ってのは、この僕たちが生きている世界でだけ成り立つものかもしれないよね。
死んでからどうなるなんて、わかんない。
だけど、僕は生きているからこそ、この感覚を味わえるのなら。
それが、生の醍醐味なんじゃないかな。
だから、僕は、生きてやる。
出来るだけ、長い間、生きてやるんだ。
そして、寿命が尽きるまで、この世で味わえる感情を思いっきり味わい、楽しんでやるんだ。
例え辛くても、死んだら、もう味わえないかもしれない一つの感情なんだ。
例え痛くても、死んだら、もう味わえないかもしれない一つの感覚なんだ。
みんな、死んでく場所が同じで、そこには時間という概念すらも存在しないのかもしれないなら、出来るだけ長い間、出来るだけ人より多くの種類の感情や感覚を味わってからその場所に行きたい。
僕は今、幸せや、喜びだけじゃなく、苦しみや、悲しみを味わえている。
生きてなけりゃ味わえない楽しみかもしれないんだ。
死んだらもう2度と味わえなくなる感覚かもしれないんだ。
僕は幸せだ、人生を満喫している。
痛み苦しみ、喜び悲しみ。
そのすべてが、人生を構成する要素なんだよね。
人生で経験できるより多くの感情を、そして、感覚を味わえているのだとしたら。
そう、僕は、幸福しか知らない人よりも、幸福なんだ。
幸せなだけの人はかわいそうだ。悲しみを知らないから。
挫折したことのない人はかわいそうだ。失敗を知らないから。
この前、ある人がテレビで言ってたなあ。人間の死亡率100%。
生きとし生きるものみんな死んじゃうんだよ。
死んだらどうなるって、楽になるの?
そんなのわかんないじゃん。
死んだら、他の世界が待ってるかもしれない。
そこは、僕たちが生きてる現実よりも苦しいかもしれない。はたまた、無かもしれない。
無って楽なのかね?そんなのわかんないじゃん。
苦しいのかもしれない。
でも、ただ一ついえることがあるよね。
死後は、今とまったく違う状況に陥るわけだよ。
それが無であれ、楽であれ、苦であれ。
そして、おそらく、僕たちが今、持っている感情や感覚ってのは、この僕たちが生きている世界でだけ成り立つものかもしれないよね。
死んでからどうなるなんて、わかんない。
だけど、僕は生きているからこそ、この感覚を味わえるのなら。
それが、生の醍醐味なんじゃないかな。
だから、僕は、生きてやる。
出来るだけ、長い間、生きてやるんだ。
そして、寿命が尽きるまで、この世で味わえる感情を思いっきり味わい、楽しんでやるんだ。
例え辛くても、死んだら、もう味わえないかもしれない一つの感情なんだ。
例え痛くても、死んだら、もう味わえないかもしれない一つの感覚なんだ。
みんな、死んでく場所が同じで、そこには時間という概念すらも存在しないのかもしれないなら、出来るだけ長い間、出来るだけ人より多くの種類の感情や感覚を味わってからその場所に行きたい。
僕は今、幸せや、喜びだけじゃなく、苦しみや、悲しみを味わえている。
生きてなけりゃ味わえない楽しみかもしれないんだ。
死んだらもう2度と味わえなくなる感覚かもしれないんだ。
僕は幸せだ、人生を満喫している。
痛み苦しみ、喜び悲しみ。
そのすべてが、人生を構成する要素なんだよね。
人生で経験できるより多くの感情を、そして、感覚を味わえているのだとしたら。
そう、僕は、幸福しか知らない人よりも、幸福なんだ。
コメント
キタムさんの日記にはとても勉強させてもらっています。
私はずーっと我で突っ走ってきて鬱になりました。
鬱になって職を失い、希望も失い、自暴自棄になって
いました。
それでも鬱になって良かったと思えた事も沢山あります。
空が青いこと、太陽が眩しいこと・・鬱になるまでは
分からなかった幸せを感じる事ができるようになりました。
中々感情は思うようにはいきませんが、それもまた
人生なのでしょうね。
勇気をありがとうございます。
これからも頑張って生き抜いて生きたいと思います。
キタムさんも人間関係大変そうですが、
どうか良い方向へいくといいですね。
最近、僕の心も弱っていて、自分に向けて、という意味もあります。
人生には、道草が必要だと思います。ずっと道なりに進んでいたら、その道から見えるものしか見えません。
だから、ちょっと脇道にそれてみたほうが、人生はグッと豊かになる^^もちろん、道じゃない草原に分け入ると傷ができることもあります。でも、補正された道には咲いてない花を見つけることができるかもしれない。
ミルクさんは、今、歩みを緩めて、道草しているんだと思います。きっと、がむしゃらだったころには分からなかったもっともっと沢山の素晴らしいことを感じられますよ^^
ほら、ハイキングで、僕たちは、立ち止まるだけでなく、何度も来た道を引き返したりもしますから。そして引き返して同じ風景を見たときまた違う発見をする。
人生の道に、一番とか、二番とか順位はありませんから、自分だけの道ですから、自分のペースで、何度立ち止まっても、何度引き返すことがあっても、いいんじゃないかなあって思います^^
頑張って生きましょう。でも頑張りすぎず、急ぎすぎず行きましょう。