僕は自助サークルのメンバーからメールをもらいました。
その人をLさんと呼びます。

Lさんからのメールは、ある人とメールを始めたけど、その人の相談に乗ってあげたいけど自分ではどうしていいのかわからないのでアドバイスをくださいというものでした。
そして、その人とのやりとりはサークルの掲示板に書かれているので読んでくれとのことだったので、仕事で忙しく全く見れていなかった掲示板を久々に見てみました。
そして僕は自分の思うことをLさんに伝えました。
その日から、Lさんとのメールのやりとりが始まりました。

僕がLさんとメールをやり始めた当初は、掲示板は平和でした。
ですが、しばらくして、Lさんの書き込みに、過去のK君を思わせるような表現が沢山見られるようになっていったのです。掲示板は荒れていきました。
僕はLさんは、K君ではないかという疑念がわきました。
Lさんはとても言葉遣いが丁寧でしたし、K君よりもメールの内容が思慮深く感じられたので、最初は疑念でしかありませんでしたが、掲示板が荒れていく様を見るにつけ、僕はLさんがK君であると確信しました。
ですが、僕はLさんにそのことはいいませんでした。
LさんにはLさんとして接することにしました。
僕は、Lさんの掲示板での発言について厳しく注意しました。以前のK君なら、そのことに腹を立て、さらに荒れるのですが、Lさんは素直にそのことを受け入れ、掲示板に謝罪文を書きました。僕はそのことに驚きました。
この一件のあと、Lさんが「自分はコミュケーション力がないので、今後掲示板の書き込みや、人生のことについて、継続して相談に乗ってもらえないか?」という提案を受けたとき、僕は過去の依存体制にならないように、制約を設けました。メールは、1日1〜2通に制限し、僕は忙しいのでなかなか返せないけど、気長に待ってくれること、等です。

つまり、僕はK君(Lさん)と再びメールをすることになったのです。なぜ、K君(Lさん)と再びメールすることにしたのか。それは、K君(Lさん)に明らかな努力が認められたからです。
その努力の部分とは、自分のミスや、落ち度を認め、謝罪できること、です。
Lさんの言動や、行動自体は、あまり以前のK君と変わりありません。変わっている部分といえば、K君の頃よりも言葉遣いが丁寧になっている、ということくらいです。

ですから、掲示板は、その後も何度となく荒れ、その度に、僕はLさんにメールを送り不適切な部分を指摘する。という作業が繰り返されました。

さて、そして現在に至ります。
メールのやりとりは、未だ続いています。今後、以前のようなことにならなければ、メールのやりとりが途絶えることはないと思います。
Lさんは結局、自分からK君であることを言ってきました。
しかし、あの頃の自分と決別するために、Lさんとして接してくれることを彼は望みました。
僕は、Lさんのこれからに、以前のような絶望感は感じていません。なぜなら、今の彼とのメールには、自己と対峙し苦悩する様が書かれているからです。
彼はもう自分から逃げてはいないのです。
たとえ、依然と同じ過ちを繰り返していても、そこから脱却できる日は来る。。彼が努力し続ける限りはいつか絶対に。
ある日、Lさんからこんなメールが届きました。

「僕は昔とちっとも変わっていないのでしょうか?変わろうと努力してきたつもりだったのに。今では家でも何も壊さずに我慢して、親の手伝いもして大人になろうと自分に誓ってきたのに」

それに対して、僕はこう返信しました。

「人間はすぐに変われるものではありません。まだ努力しはじめて間もないじゃないですか。人間が変わるのには、数年、数十年かかることもあります。ただ努力し続けていれば少しづつ変わっていけるはずです。
今、Lさんが確実に変わったと言い切れることがあります。それは自ら努力して治したいと思っていることです
これは一番重要なことです。
これをあきらめたらまたスタートラインに戻ってしまいます。
努力し続けることをあきらめずに頑張ってください。そこから道は開かれてくると思います」

自分が変わらなければ、何も変わらない。自分と対峙しなければ、何も変われない。そのことに気づいてしまえば、あとは、全てが自分を成長させる材料となります。
そのことに気づいてもらえるのになんと時間がかかったことか。
彼とはもう出合って3年経ちました。
ようやく、彼は気づいてくれました。
これからがスタートライン。長い努力の始まりです。だって、僕自身未だに努力し続けているんですから。
あとは、彼があきらめてしまわないことを願うのみ。

あのK君の時、連絡を絶ったことが、あのショックが、結果的に彼を自己と対峙させました。
せざるをえなかった。僕の時と同じです。
ですが、僕の幼なじみは今僕のそばにはいませんが、Lさんは今僕とまた連絡を取っている。
今度こそ、彼が変われば、彼との友情を築ける日が来るかも知れない。今はまだ、制約の中でのメールのやりとりに過ぎないが、いつの日か。

僕は今、あのとき突き放した勇気は必要だったと思っています。
以前の僕は相手を傷つけないことにばかり執着していました。
ですが、傷つかなければ気づけないこともある。もちろん傷つかずにできるのが一番ですが、僕がそんなことをできるほど頭は良くもないし。自分の限界を知ること。
もし、自分が誰かにに何らかの力になろうと思うなら、その人を結果的に傷つけるかもしれないこと、また、自分の信念から外れる失敗もあること。そのことを自分自身受け入れる覚悟がなければならないと思います。
僕は一度K君を突き放してしまいました。ですが、K君が再び戻ってきたときの門戸は閉ざしてはいけない。それならば、突き放すことに意味はある。そう思います。

理想を抱えた人助けは柔軟性を奪う。傷つく、傷つけること自体は悪じゃない。問題はその先に何を想定するか、その人の幸せか?不幸か?もちろん、それが独善に陥ってしまうことは避けなければなりませんが。
いつかまたあう日(たとえ会うことがなくても)のために、その人への門とは閉ざさないでおくということこそが肝要なのだと現時点では思っています。

コメント

nao
2007年2月4日12:49

こんにちは。
私も長い間(かれこれ7年くらい)ネットをやってきていろいろありました。一時期ネット依存症にもなっていましたが、今は、正直、ネットをやる前より人に対する不信感や警戒心が強くなってしまいました。あまり個人的な日記も書かなくなりました。それに対する遠回しの誹謗中傷を必ずといっていいほどブログに書く人がいるからです。私自身、結構、些細な事で傷つく自分をもてあましていることもあります。
またブログでいろんな悩みを書いて公開している人がいます。そういった人と知り合いになったとき、やはり、どこまで関われるか..ということを考えて、あまりはっきりとしたコメントも書かない事にしました。文章って読み方によっては気持ちが全然伝わっていないこともあると思うのです。そういう書き込みからの誤解もたくさんあって、私自身、謝罪のメールを送ったことなどもありましたが、結局、返事もこなかったし、また全く一方的に自分の意見を譲らず許してくれない人もいました。
誰だったか、本当に大切で長く付き合いたい人とは自分を全部さらけだすのではなく、6〜7割くらいにおさえた接し方でいい。。と言っているひとがいて、今は本当にそうだったなあと思います。
今はネットを通してかなり揉まれたけれど、そういういい勉強にもなったと思っています。

キタム
キタム
2007年2月4日18:57

こんばんわ。
七年というと、僕と一緒ですね^^
僕もその間、いろんなことがありましたし、これからもあるでしょう。
基本的に、当初から日記のスタンスは変わっていないのですが、僕は日記に、よく世間の不条理とか、人間の矛盾や疑問を書くことがあるのですが、それを自分のことと解釈されて、その誤解により、その人の日記にあからさまに僕だとわかる形で中傷されたこともありました。

問題は、誤解が生まれることではなく、誤解が生まれたときに、ちゃんと話し合おうとする人が少ないことだと思います。

ですから、日記に書くとき、僕も内容には慎重になります。
あと、当初は、お気に入りに自分から登録したりしていたのですが、今は登録していただいた方だけ相互させてもらう形にしています。これは、自分の気に入った日記を登録し続けると、秘密日記やコメントに対して自分が対処しきれなくなるからです。
これはやはりせっかくコメントや秘密を残してくださる方に失礼ですし、それが元で起こる誤解などもないわけではありません。
ですから、たとえ、他の人の日記を見る時間がないときでも、相互の人の秘密日記に僕宛がないかだけは見るようにしてます。

僕が今入っている自助サークルでも同じことがいえます。
僕自身は、苦しんでいる人がいると助けたいのですが、その気持ちに任せて相談に乗ることはしません。自分も仕事をしているし、片手間に相談に乗ることは逆に相手のためにはならないと思うからです。
ですから、基本は「待ち」ですね。
ですが、相談を求められたら、基本的に断ることはせず、自分の時間的、精神的な許容範囲(それを説明した上で)で、精一杯自分ができることをしたいとは思っています。

「誰だったか、本当に大切で長く付き合いたい人とは自分を全部さらけだすのではなく、6〜7割くらいにおさえた接し方でいい。」

これは実感として僕もそう思います。ですが、やはり本当の自分を知ってほしいと思う欲求はあるので、辛いですね。

ネットの中は、良い部分もあります。僕たちのような障害を持っていると、ネット以外の世界では、その部分を伝えるのに躊躇します。ですが、ネットならこういったコミュニティもありますし、何より、自分の内面から知り合っていくことができます。

少なくとも、僕は現にネット以外よりも、ネットの中の方が自分のことをさらけ出せているように思えます。

nao
2007年2月5日12:32

私もネットで映画の話が出来るというのが嬉しいです。現実では、なかなか入り込んだ話ができる人がいないのですが、ネットだと、ああ、すごいなあ・・という人がいっぱいいて。
10代20代の若い人が「もっと自分を理解してほしい」「誤解されたくない」という要求を持つことは自然なことと思います。ですが、30、40代のい大人になってきて、子供もいて..という人がそればっかり相手に要求するというのは「甘え」としかとってもらえないことの方が多いんです。カウンセラーみたいな人に話するのとは別にして。
なので、私は誤解されているなあ..というのはしばしばありますが、最近はあまり深入りせず、放っています。どうしようもないジレンマに悩まされる時もありましたが、私にとって私を理解してくれている人は知り合う人全員ではなくても1・2人でいいんだと。それは私の場合、家族にあるので、幸せですね。でも、そういった人にさえ理解されない時もあるでしょう。そういう時は「天知る、地知る..」で神様はちゃんと分かっていらっしゃると。宗教的な意味ではなくて。。
そういう意味で人間はどこまで孤独に耐えられるのか..というのはありますね。でも、最終的にはペシミストに走るのではなくオプティミィズムに捕らえた方が楽です。私はよく悲観的になった時に思い出す言葉があるんです。
「それでも、太陽に向かって笑っているちょっとひまなヒマワリでいよう・・・」この光景を想像すると面白い。これはある人が教えてくれた言葉なんですけどね(笑)

キタム
キタム
2007年2月5日22:22

僕は母にたいして抱いていた辛い記憶があります。
その過去を解き放たないと、僕はいつか壊れる。僕はそう思いました。僕は母に対して抱いていた自分の思いを吐露しました。それは、母にとって非常に辛いことだったと思います。
しかし、僕はそうやって話し合って清算させるしかなかったわけです。僕も母も心の底から嗚咽しました。
しかしそれ以来、母は、深く理解でしてくれる人の一人となりました。
そして、母もまた、辛い思いを一人胸にしまっていました。そしてそのことが、母の性格を卑屈なものにしていたのでした。
このままでは母は壊れる。
僕はそう思って、母の内面に勇気をもって一歩踏み出しました。(詳細は、テーマの「僕の思ったこと」の2004年11月18日の『抑圧されたフェミニズム』に書いてありますので、一読していただけたらうれしいです)

僕は、あの母に吐露した日以後、今度は、僕が母の理解者とならなければならないと気持ちを切り替えました。
naoさんのお子さんも、そうなるときが来るかも知れません。

確かに、自分を理解しようと真剣にしてくれる人を探すのは困難かもしれません。ですが、こういうときにこそ、ネットがネット以外の世界よりも優れている部分があるのではないでしょうか^^

やはり、人は年令にかかわらず、理解される相手が必要だと思います。そして、それが家族であるnaoさんはとても幸せですね^^

こうは考えられないでしょうか。
人間は、孤独です。そして孤独に耐えられない。だからこそ、人は理解者を求め、そして人を理解しようとする。理解し合うことができるのは、人が孤独であるが故のすばらしさなのじゃないかと。

僕の、人間が信じられないが故に人間は信じられるという希望を持つことも、捉え方としては、オプチミズムなのかも知れません。

ペシミズムの先には、すさんだ心しかありません。
まだこの世に生き続けることを欲する人間は皆、絶望の淵でもオプチミストになるしかないのだと、僕は思います。

naoさんのひまわりの言葉で、「花のメルヘン」という歌を思い浮かべました。

こんな歌詞です。
『[台詞] これはね ママに聞いたお話なの
    大きいお花と ちっちゃいお花がありました

(1) 昔々その昔 小さな川のほとりに
  大きな花と小さな花が 並んで咲いていた
  大きな花は美しい いつも楽しく歌う花
  けれども小さな花は たった一人ぼっち

  恋の陽射し浴びて 二つの花は
  春の思いに 胸をふくらませる
  
  昔々その昔 小さな川のほとりに
  大きな花と小さな花が 並んで咲いていた

(2) あの子もこの子もこの俺を
         一目見ようとここに来る
  生きてることの楽しさは おまえにゃ分かるまい
  大きな花さん聞いとくれ たとえ一人ぼっちでも
  僕には心の太陽が いつも輝いてる

  愛の息吹浴びて 二つの花は
  春の思いに 胸をふくらませる
  
  昔々その昔 小さな川のほとりに
  大きな花と小さな花が 並んで咲いていた
          並んで咲いていた』

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