依存の対象が僕に移ったのは、僕が意図したことでもありました。
他のメンバーは皆強迫を持ちながら仕事をしていたし、その上にK君とのやりとりの負担は、大変です。
僕は当時働いてなくて、薬のおかげでだいぶ強迫も軽くなっていました。
それに何より、これは僕自身の救済でもあるように思えたのです。僕は、誰かに献身することで、裏切らないことで、人間は信じられる存在だ、ということを自分自身で証明してみたかったわけです。

K君の話す過去の話が大変辛いものであると前の日記で書きました。しかしK君とメールのやりとりをするうちに、K君のメールに矛盾が生じてきて、明らかにいくらかの部分が虚飾であることに気づきました。
なぜ嘘をつくのか。。K君の話す通りの過去ではないにしても、K君の過去、また辛さの根は深いように感じました。

僕は、K君に心を開いてもらおうと思いました。ですから、僕はK君の相談相手ではなく、友人になることを望んだのです。

過去の僕とK君が似ているのは確かです、ですから、他の人よりも自分はK君のことが理解できる自負がありましたし、K君が暴言を吐いても昔の自分の気持ちを思い出せば耐えられる。。とそのときは思っていました。

K君が自分自信と向かい合うことができれば、暴言はなくなるはずです。僕は暴言に耐えつつ、どうしたら、K君を自分と向かい合わせることができるか、試行錯誤の日々が始まりました。

まず、過去の自分、そしてK君のことをもっとよく知るために人格障害関係の本を読みあさりました。K君が、過去の自分が人格障害であるという鋳型にはめるためではありません。過去の自分やK君がどういった人格障害の傾向を持っているのかを自分なりに解釈し、その人格障害に対して現在有効だとされている治療法を応用するためです。
人格障害の傾向は一つに限定できるものではありませんが、その中で過去の自分およびK君の行動と最も多く一致する人格障害を見つけました。
それは、「境界線人格障害」です。

境界性人格障害を簡単に説明すると、
『情緒面や対人関係の変動の激しさと、周囲に対する操作的な態度が最大の特徴。つい先ごろまで機嫌がよかったかのに、相手の些細な一言で傷つくと、急に不機嫌になったり、死にかかわる挙動を示したりする。
躁鬱のように、何ヶ月という長い期間ではなく、もっと短いスパンで、気分の変調を繰り返す。
「見捨てられ抑うつ」という特性を持つ。
自分はいらない存在だ、という思いこみがあり、愛情や関心を失ったと感じることが、その思いこみを確信させ、絶望に陥らせる。これは、過去そういった経験をしたことが由来している場合が多い。
対人関係では、過度な親しみや尊敬を示したかと思うと、急に、相手を拒否したり、激しく悪態をつき始める。
その人物の人生をたどってみると、必ず、どこかに愛情を損なわれた状況が浮上してくる。』
というものです。
もちろん、僕は医者でも何でもありませんから、ただ、僕がK君は、「境界性人格障害」の傾向が強い、と感じただけです。
ですが、それが僕にとって今後の対処や選択への方向性を示してくれる指針となりました。

K君とのメールの中で、虚飾の中から見えてきた真実。それは、K君が複雑な家庭環境の中で育ったことと、身体的な障害で幼い頃に辛い虐めにあったこと。

ですから、K君は、愛情に対する不安感が常にあるのだと思いました。人が、たとえば、僕が愛情を示しても信じられず、故に虚飾で自分を飾り立て、本当の自分を隠す。自分を知られると嫌われるという不安、もしくは、この人間はまだ信じられないから、本当のことはいえない、というような感じだと思います。

信頼の欠如。愛情の永続性に対する信頼感を「対象恒常性」というそうです。愛情に対して不安感を持つK君は、この対象恒常性が欠如しています。
ですから、メールがすぐに返ってこないときなど、感情が不安定となり、暴言が始まります。

対象恒常性を取り戻すには、K君に絶対の信頼をもてる存在を作り出すこと。。K君が自分と向き合うためには、そのことから始めなければならないと思いました。
果たして、僕がK君が信頼する人物となれるのか。なれたとして、自分が思っていたような結果になるでしょうか。
自分の覚悟が問われました。そして、これは、僕にとっても過去の自分の経験と心理だけを頼りに選択した、はなはだ頼りない先行きの不安な賭でした。。

コメント

nophoto
2007年1月30日20:31

 キタムさん、こんばんは。

 私もk君と同じような方とメールのやり取りをしたことがあります。その方が「信頼」という言葉にこだわっていたことを、思い出しました。
 愛情を信じることが出来ないというのは、想像するに耐えない苦しみだと思います。きっとK君はキタムさんとの出会いで、「人を信頼することとはどういうことなのか」という事を考えられたでしょう。だから、キタムさんがK君とメールのやり取りをしたことは決して無駄なことではなかったと思います。

キタム
キタム
2007年2月3日22:15

渚さん、こんばんわ^^

信頼とは、こっちが信頼しても相手がしてくれなければ成立しないということに、その人も気づいてくれるといいですね。
ようやく「突き放す勇気」を終えました。こんなに長くする予定はなかったんですけどね^^;

K君とのやりとりは無駄ではなかったと思います。もし、僕がK君に、僕が自分と対峙するに至ったいきさつを話していなければ、多分、K君を突き放したところで、彼は僕を恨むばかりで自分と対峙することはなかったと思います。

自分も含め、接した人たちの言葉や経験は、いわば種みたいなもので、そのまま枯れてしまう種もあれば、ずっと先に花開くのもあります。僕たちは、自分たちの送った言葉の種が、自分の目の前で、その人がすぐに花開かせるのに期待しすぎているのかも知れませんね^^
いつか自分の言ったことがその人の苦しみを救う材料になればいい。いつか花開けばいい。今はただの種でも。。くらいの気持ちでいるのが、本当に相手のことを思っていることなんじゃないかと思います。

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