DVD ジェネオン エンタテインメント 2003/03/28 ¥4,935
異能の人、フランソワ・オゾンがこれまでのダークな作風から一転、正攻法の語り口で巨匠の道を歩みはじめた転機的作品、それが『まぼろし』である。マリーとジャンは25年間連れ添った夫婦。例年同様に南仏でバカンスを過ごす2人だったが、何の前触れもなく、ジャンは海に忽然と姿を消してしまうのだった…。
愛する人を失い、孤独をさまよう主人公の喪失感にドラマは濃密に寄り添っていく。台詞を廃した余白の積み重ねが、いっそうの寂寥を誘う。そんな悲しみのただ中に凛としてたたずむ主人公を、シャーロット・ランプリングが円熟の名演でみせる。その視線の演技は、すべての心情を言い表しているかのよう。とりわけ、いるはずのない亡霊としての夫との語らいが印象的だ。海原の轟音がいつまでも心に残るのは、抑制された音楽演出の効果にほかならない。
フランソワ・オゾンが苦手という人にも、お薦めできる作品である。なお、前半は35ミリだが、後半は予算の関係上、スーパー16で撮影されているのだが、これがまた絶妙の効果をあげている。

「貴方はわたし。わたしは貴方。」恋愛の中での束縛の要素の一つに、この自己と他者の同一化があげられると何かのテレビで聞いた記憶があります。貴方はわたしの一部、だから貴方がわたしの見てないところで行動するのもおかしいし、わたしの望むこと以外をしてはいけない、ということなんでしょうか。
愛といっても、人によって様相は様々。
愛するからこそ、裏切りの恐怖におびえて相手を信じられないのも愛の形。
一方で、愛するからこそ、相手を心から信じられるというものそう。
この作品は、、後者に当たるんじゃないでしょうか。
ただ、その根本に自己と他者の同一化があります。
つまり、束縛を超えた究極の信頼も、この場合は同一化からきたものだと思うのです。
貴方はわたしであるから、わたしの前からいなくならない。
夫がいなくなることは半身がなくなること。同一化してしまった彼女は、夫の存在を否定することはできない。故に彼女はまぼろしを見、そして語るのではないでしょうか。

まさしくオゾンが巨匠になりえる可能性を示した傑作だと思います。

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