僕はよく作業中に歌を口ずさんだりしているけど、歌う歌の中に古い歌も混じっているので、年齢より上にみられたりします。
若い、若くない、のとらえ方が、僕は根本的に周りと違うのかもしれません。

僕は基本的に文化に時代の垣根を作りません。
一人一人の価値観が違うように、一つ一つの事象や対象も、「新しいからよい」「古いから悪い」というわけではないと思っているからです。
ですからはやりに乗ることもごく稀ですし、流行を文化の摂取目的の一番の理由には置いていません。

僕にとって、自分が良いと感じるもの、それこそが対象物を選択するときの第一事由となります。

歌や映画を例にとっても、多くの人はある一定の敷居を作っています。しかし、自分の感性に調和するもの、影響を与えるもの、宝物となり得るものが「今の時代の文化」にだけあるとも限らないし、あるかどうかも定かではありません。
時代に敷居を設けることは、自分の成長する、もしくは幸せになる、楽しむ、そういった可能性を自らの手で閉ざしてしまっていることになるのだと僕はとらえているのです。

自分の世界を広げる、そのためには、自分の中に植え込まれたネガティブな偏見を克服しなければいけません。人間は自分がふれたことのない未知なものに対して拒否反応を起こしがちですが、たとえば「映画は白黒はつまらない」や、「古いものは自分に合わない」などは、根拠のない偏見に過ぎません。
そして、それをいう人の多くは、おそらくそういったものに多く触れたことがない人が多いのではないでしょうか。

「古い」や「新しい」、「人気がある」や「人気がない」は自分の感性とは無関係です。だから、自分にとってその作品を計る基準にもなりませんし、良し悪しをそれによって判断することもできないと思います。
自分の感性と合うもの、心地よいもの、時代に関係なくそういったものが良いものではないでしょうか。

さて、僕は古い歌を知っていることで実年齢よりも上にみられましたが、そもそも「若い」とはどういうことをいうのでしょうか。
柔軟に、幅広く吸収できる好奇心にあふれた様を「若い」と呼ぶのであれば、今の時代ばかりを追って昔を「古い」と切り捨てる態度は、保守的に凝り固まった堅い心を想起させます。
新しい時代、最先端を走っているから「若い」訳ではないでしょう。偏見を持たず、好奇心を持って幅広く世界、または世代の垣根を跳び越えて文化を摂取できる心を持つことこそ、まさに「若い」人であると僕は捉えているわけです。

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