心に流れ込む川
僕はですね、強烈な人間に対する理想を持っています。
僕の理想の一片が顕現して見えると、鳥肌が立つほどに感動したり、そういった人物を盲目的に尊敬してしまいます。
と同時に僕はとても打たれ弱いです。ですから、人間の現実、というか、人間の理不尽な部分を見ると、人間への度し難さに対する悲しみでとても心が沈み、しばらく心にそのことが沈殿します。
ある日、人を大切にすることを信条としているといった先輩がいました。僕は、その先輩を尊敬し、心を開き全幅の信頼を置きました。しかし、彼のその言葉は、うわべだけでした。そのことを彼の口から実際に聞いたときはショックで、僕は再び人間不信に陥りそうなほどの悲しみで満たされました。怒りではなく、悲しみです。
僕は、そういった理不尽なこと、何故する必要があるのかわからないような人間の冷たさを見るのが、自分が関係のないことであっても嫌いです。やはり人間というのはそういう生き物なのか、とやり場のない切ない気持ちになります。
だからこそ、逆に僕の理想の面影を感じると、言いようのない感動がわきあがったり、うれしさで涙がこぼれそうになるのです。人間はまだまだ捨てたものじゃない、理想を捨てちゃいけない、と思い、今日もこの現実の世界で生きていこうと思えるのです。それは些細なことです。たとえば誰かが誰かを励ましている場面。誰かが誰かに感謝をしている場面。みんなが和気藹々と笑っている場面。誰かが誰かの悩みに一緒に考えている場面。人間の良心を眺め、感じること、色んな人が幸せになり、幸せである姿を見ることが、僕のなにものにも変えがたい喜びであり、幸せです。
今日、バイトで少し悲しいことがありました。
そんなとき、ダイアリーノートの相互の方の日記のコメント欄や秘密日記で、他の人がその人へ励ましの言葉や暖かい感謝の言葉を書かれているのを見るのは、沈んだ心に染みる一条の清流です。

笑いや怒り、喜びなどの感情の中で、僕は感動が一番幸せを感じます。
感動は、喜びながら、笑いながら、時には怒りながら、泣くことができるからです。

コメント

彩
2006年3月9日0:48

キタムっちは純粋なんだね。
私は最初に分析から入るからね〜。
人の言葉の裏の裏を読むのが好きだから(笑)
経験はキタムっちに人を見極めるチカラをくれるよ。
盲信と確信は違うからね。
相手がどんな人であれそれがその人なんだなって
受け入れられるようになれたらいいよね。
その反面キタムっちが言うように素敵な言葉を出せる人に
温かさを感じれるものね。

感動できるって素敵だよね〜*^-^*
(なんかまとまりなくてごめん〜)

キタム
キタム
2006年3月9日21:50

う〜ん、純粋じゃないよ〜。
ちょっと前は、人間は裏切るものって考えてたし(爆)
でもそれだと切ないし、僕の生きる意味がなくなっちゃうから、今は、人を信じたいと思うようになったんだよ〜。
僕も基本的には分析する人間だよ。ただ、僕は言葉じゃなくて、行動のほうを分析するかも。その人と出会うのが初めてで、その人のことをまだ全然知らないときは、僕は言葉は言霊だという考えから、その人の発した言葉でその人の人間性を知ろうとするんだ、つまりその人が言ってることをひとまず信じるんだぁ。でも、その人の行動を見ていると、その人の言葉が本当の言葉だったのか嘘だったのかが、だんだんわかってくるんだ。明かに自分の言ってることと行動が矛盾していると、嫌でも目に付いてきちゃうんから^^;
言葉って、行動を伴って説得力を持つものだからね。それも自分の信念を語った言葉ならなおさらね。
だから、その言葉が嘘だったとわかると、自分の信念(つまり自分の一番大切な部分)を表明するのに、どうして嘘なんかつく必要があるんだろう、って悲しくなるんだ^^;言葉ってそんなに軽いものなのかとか、とかね。言葉に魂が抜けてるなあって。
他の瑣末な事柄に対してなら、嘘もあっていいと思うし、そこまで細かくこだわらないけど、自分の信条とすること、自分という人間性を示すために使う言葉に、嘘はついてほしくないっていうのが、僕の理想の一つかなあ。
僕は、人を大切にしなくてもそれがその人の本心ならそれでいいと思うんだ。でもそのことを受け入れるためには、そうであることを正直に話してくれないと、受け入れたくても受け入れないからね^^;その人の偽った姿を受け入れてもお互い混乱するだけだもの。

僕は、感動したいためによくドキュメントを見てるよ〜^^(笑)

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