文は人をあらわす、こともある
2006年1月10日コメント (4)僕の文章と言うのは、自分が感ずるにリリカルであっても情緒がない。これは文章をかく上で致命的なことだと思うわけである。
以前の日記を読んでみると、どうにも論文臭い。
もうちょっと柔らかい感じを出したいんだけど、なかなか上手くいかない。これが自分のスタイルだと思えばそれはそれでかまわないのかもしれないけど。やっぱり、読みやすい文章というものを書きたいという願望もあるわけで、そういった自分が書けない、情緒的な文章を書いている人の日記を読むと、素直に感動したり、憧憬の念を抱いたりもする。
やはり自分の文章に情緒を付与するには小説を読まなければいかんと思う。それも日本の小説を。僕は今まで海外の古典や、学術書を中心に読んで来たので、日本の古典というものにほとんど触れていない。今年はぜひとも日本の古典や近代小説を開拓していこうではないか。
とかいいながら、今日もトーマス・マンの「魔の山」の項をめくる(笑)
以前の日記を読んでみると、どうにも論文臭い。
もうちょっと柔らかい感じを出したいんだけど、なかなか上手くいかない。これが自分のスタイルだと思えばそれはそれでかまわないのかもしれないけど。やっぱり、読みやすい文章というものを書きたいという願望もあるわけで、そういった自分が書けない、情緒的な文章を書いている人の日記を読むと、素直に感動したり、憧憬の念を抱いたりもする。
やはり自分の文章に情緒を付与するには小説を読まなければいかんと思う。それも日本の小説を。僕は今まで海外の古典や、学術書を中心に読んで来たので、日本の古典というものにほとんど触れていない。今年はぜひとも日本の古典や近代小説を開拓していこうではないか。
とかいいながら、今日もトーマス・マンの「魔の山」の項をめくる(笑)
コメント
古典なんて読んだらもっと読みにくくなりそうなので、エッセイとか読んでみては・・・?
ところで、風邪からは復活しましたか?
年始に今年の邪気をぜーんぶとっぱらって、残り350日強は元気ハツラツで井戸みたい、いや、挑みたいですね〜
ですよねえ^^;
僕も今の僕の日記も充分論文臭いだと思います。
こういったスタイルも自分としては嫌いではないんですが、読む人にとっては読みづらいだろうなあっていう風には思うんです。まあ、色んな好みの方がいますから一概には言えませんけど。
古典というか、正しい日本語を覚えたいなあって思いまして^^日本語って僕好きなんです。とっても美しいと思うんです。だから色んな表現を知りたいなって。
何かの本に、正しい日本語を知りたかったら、森鴎外を読めって書いてあったんです。だから、やっぱりネイティブの日本人の小説を読むのがいいかなあって思ったんです^^;
エッセイも、もちろん読まなくては。
つまり、僕の日記は、情緒を説明することはできるけど、情緒をあらわすことはできてないっていうことかなあ。
自分の気持ちを常に客観的に見てしまっているもんだから、読者も常に客観的立場からの視点を強いられるわけで、やっぱりそれは論文にはなっても小説やエッセーにはなりえないんじゃないかって思うと、僕の文章には致命的な欠陥があるといわざるを得ないということに。
すっと感情移入できるような文章というのがあるじゃない?
風情があるという。情緒がかかれている文章じゃなくて、情緒のある文章、そういった文章を書ける技術を持っとけば、使い分けられるなあって^^
そういうのを学ぶには、やっぱ日本の小説かなあって思ったんだ。
ちなみに、風邪はまだ若干あるけど、動けば治るって意気込みで、活動開始します(笑)
そうだね〜、のこりの日は、風邪引かず、元気でいたいね〜☆
しろりんも風邪引いちゃダメだよ^^