埋められない溝
2005年11月11日睡眠不足なため、早く寝ようかと思ってたら、高校時代の知人から電話があり、前日の11時から午前4時まで話してたので、結局わずかしか眠れなかった。
話してて、いやがおうにも健常者と障害者の思考の違いというものを感じてしまって、なんだか悲しくなってしまった。
僕は、思考があまりにも社会主義的だといわれた。僕の根源的なところで人間は平等だという考えが、彼には不満だったらしい。
自分がその立場に立たなければ、考えられないことがある。それはわかる。だけど、それを想像しようとする努力さえも怠ってしまったら、相互理解なんて夢のまた夢だろう。
考えずに、わいわい楽しくやれば幸せになれるというのは、考えなければならないところまで追いこまれなかった人間の言える事だ。戦場の只中にいる人間が、生き残るすべを考えずにいられようか。
細かすぎる、固執しすぎるといえるのは、固執せずに、細かいところまで突き詰めずにいられた幸せな人間の言える事だ。
他者を差別し、差別されたほうが悪いといえるのは、差別されたことのない人間が言える事だ。迫害されるものも、迫害されないように努力すべきだといえるのは、迫害されたことがない人間だから言える事だ。
弱者とされた人間は、言われなくとも最大限の努力をしている。危機に瀕した人間は、言われなくても生き残る術を探している。努力しなったとすれば、それは努力した末の諦め故だろう。そのことまで、責めることができるのは、そこまで追いこまれたことのない人間の言える事だ。
お前は障害者じゃない、お前は他の障害者と違うなど、そういった言葉が慰めだと思っている限り、差別や偏見はなくならない。
ならなぜ、あの時、障害の真似をした?
今になって、過去の罪は水に流してみんなで飲もうなど、虫がいい。
僕は、まだ高校三年の半年間、障害を真似した相手と面を合わせて笑顔を作るほど人間は練れていない。
どんなに今、その相手が変わっていたとしても。過去の罪を悔いていたとしても。
いつかは、歓談できるときがくればいいと思う。でも今は無理だ。
今、お前等と会っても、あのことを思い起こして憎しみで発狂するだろう。いつかを待っていられないというのなら、もう自分のことなど忘れてくれというしかない。僕は高校3年の自分を記憶から消したいのだ。
消したくても消せないあの経験をどうにか乗り越えようと努力しているのだから。
話してて、いやがおうにも健常者と障害者の思考の違いというものを感じてしまって、なんだか悲しくなってしまった。
僕は、思考があまりにも社会主義的だといわれた。僕の根源的なところで人間は平等だという考えが、彼には不満だったらしい。
自分がその立場に立たなければ、考えられないことがある。それはわかる。だけど、それを想像しようとする努力さえも怠ってしまったら、相互理解なんて夢のまた夢だろう。
考えずに、わいわい楽しくやれば幸せになれるというのは、考えなければならないところまで追いこまれなかった人間の言える事だ。戦場の只中にいる人間が、生き残るすべを考えずにいられようか。
細かすぎる、固執しすぎるといえるのは、固執せずに、細かいところまで突き詰めずにいられた幸せな人間の言える事だ。
他者を差別し、差別されたほうが悪いといえるのは、差別されたことのない人間が言える事だ。迫害されるものも、迫害されないように努力すべきだといえるのは、迫害されたことがない人間だから言える事だ。
弱者とされた人間は、言われなくとも最大限の努力をしている。危機に瀕した人間は、言われなくても生き残る術を探している。努力しなったとすれば、それは努力した末の諦め故だろう。そのことまで、責めることができるのは、そこまで追いこまれたことのない人間の言える事だ。
お前は障害者じゃない、お前は他の障害者と違うなど、そういった言葉が慰めだと思っている限り、差別や偏見はなくならない。
ならなぜ、あの時、障害の真似をした?
今になって、過去の罪は水に流してみんなで飲もうなど、虫がいい。
僕は、まだ高校三年の半年間、障害を真似した相手と面を合わせて笑顔を作るほど人間は練れていない。
どんなに今、その相手が変わっていたとしても。過去の罪を悔いていたとしても。
いつかは、歓談できるときがくればいいと思う。でも今は無理だ。
今、お前等と会っても、あのことを思い起こして憎しみで発狂するだろう。いつかを待っていられないというのなら、もう自分のことなど忘れてくれというしかない。僕は高校3年の自分を記憶から消したいのだ。
消したくても消せないあの経験をどうにか乗り越えようと努力しているのだから。
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