というふうな言葉を、ワークプラザの人から、はなむけの言葉としていただきました。

考えてみると、これは二通りにとることができる。

一つは、僕の心の潔癖症。社会の理不尽を受け入れきれない僕の心の潔癖症をそのままにしておいては、僕は社会では生きていけない。

もう一つは、仕事というのを完全な正義のみで貫いては、商売にならない。それは単なる慈善授業になてしまう。
他社との競争が行なわれる限り、そこには公にできない事情も介在してくる。つまり、穢れのないところに社会もまた存在できないということか。

しかし、これは決して仕事以外では認めたくないことだ。
人間は誰でも理想を求めるし、僕も人間に対する理想がある。
仕事の倫理と理想の境界で妥協点を探る、もしくはそういった区分けが自分の心のうちでできるようになることが、残念ながら、一人前の人間としてのサバイバル能力を身につけるということと同義になるのだと思う。

ちなみに、僕はいまだに契約がとれていない。
明日は取らなければ。
死ぬ気で頑張るしかない。勝負の一日になる。

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