精神は、月日と共に摩滅していき、真っ先に削られていくのは、夢や希望。最後には、諦念を真ん中に据えたするめの如き細身となって、その身さえいつしか噛んでも滋味すら感じられなくなってくる。

という事が神話のごとく語られる昨今、人生というものがそれだけ艱難辛苦の荒波であるかのように想像せられ、新しい1歩を踏み出すことで、自らの抱く希望が削られることに恐恐とする。

摩滅ととるか、練磨ととるか。
切磋琢磨という言葉があるが、人間はまた、失敗や反省という布で心を磨くことで、輝きを増し、希望を膨らませることができると考えてもいるのである。

古来日本人は、小石が雨にうがたれて小さくなるとは考えずに、月日がたつごとに大きくなると信じていた。小石は最後に苔むす岩となる。
これが、誤謬であったとしても、美しい誤謬ではないか。

人は、往々にして、自分はすでに岩である、岩になりつつあるという奢った認識から出発してしまう。自分も例外ではない。奢りを真実自分だと思うことから、摩滅の意識が生まれてくる。
まずは、何者でもない自分。小石からはじめなければならない。摩滅する部分がなければ、磨いて大きくなることを信じることができるだろう。

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