人を楽しませる演技。人を欺く演技。
2005年8月10日履歴書書いて、昼夜逆転だったけど我慢してハローワークに行く。
眠くなって、目がしばしばして、上手く笑えない、しゃべれない。
若年者相談所にいき、この前話を聞いてくれた職員の方に履歴書を見せる。ひとまず、試し書きだったのだけど、ネット関係の職に出すならこんな感じ、って言うのを書いてみた。
強迫性障害のことも当然書いた。
自分は障害で最も辛くなっていたときに、ネットで自助サークルに入り、そこで出会った様様な同じ障害を持った人々との交流の中で、再び希望や、活力を取り戻してきた、と同時にネットの力、未来というのを強く感じたので、障害が薬により軽減した今、社会で働くことを考えたとき、障害のなかではぐくんだ視点というのは無駄にはなるまい。自分もネットを使って、マイノリティの含めた様様な人たちの幸福への道に寄与したい、的なことをうんたらかんたら書いて、提出したら、「うんうん、ネット関係ならこれでいいやろう」という風にいわれたわけだが、その後、詳細に話していくうちに、何だか気分が重くなってくる。
というのは、ネット以外の職種では、障害のことを話さないほうがいい、という方向に進んでいるから。仮に障害のことを話すにしても、あなたはもう完治したということにしましょう。とかなんとか。
僕がだんだん浮かない顔してきたのがわかったのか、職員さんがいうには、「そりゃ、人間の洞察力にすぐれた人が面接官の場合は、君の考える通りでもいいかもしれない、でもそういった人はなかなか少ない。受かるためには、演技力が必要だ」と。
そりゃわかってるさ、演技力。演技力。でもこの場合の演技ってさ、相手を楽しませる役者の演技じゃなくて、相手を欺く演技なんだよね。
自分ができもしないことをできますと言ったり、治ってもいない障害を完治しましたといったりするよりも、これからできるように最善の努力を持って頑張るとか、障害は完治してはいないが、ほぼ改善している、障害を逃げ道にせず、人一倍やっていくつもりだ。というふうな熱意を見せるのが、その人の真の人間性じゃないのか?とか思ってしまう。
結局、面接では、人は演技をし、面接官はその演技力を評価するというオーディションなのかな。受験のときもそうだけどどうもこうやれば受かる、これをやっていれば受かる、的なやり方ってのは、疑問なのだ。
こんなことでうだうだ考えちゃいけないのかもしれないな。僕の強迫的気質の中に、強い(主観的ではあるが)善悪の倫理規範があって、それを打破しないといけないわけだけど、打破すると、今までの自分の理想までも瓦解してしまいそうで恐ろしい。
とても眠くて、気分もめいり、帰って寝てしまって、テニスクラブに行かなかった。明日は、ある雑誌のライターの履歴書と、その他の職の履歴書を書いて、またハローワークにいきます。
眠くなって、目がしばしばして、上手く笑えない、しゃべれない。
若年者相談所にいき、この前話を聞いてくれた職員の方に履歴書を見せる。ひとまず、試し書きだったのだけど、ネット関係の職に出すならこんな感じ、って言うのを書いてみた。
強迫性障害のことも当然書いた。
自分は障害で最も辛くなっていたときに、ネットで自助サークルに入り、そこで出会った様様な同じ障害を持った人々との交流の中で、再び希望や、活力を取り戻してきた、と同時にネットの力、未来というのを強く感じたので、障害が薬により軽減した今、社会で働くことを考えたとき、障害のなかではぐくんだ視点というのは無駄にはなるまい。自分もネットを使って、マイノリティの含めた様様な人たちの幸福への道に寄与したい、的なことをうんたらかんたら書いて、提出したら、「うんうん、ネット関係ならこれでいいやろう」という風にいわれたわけだが、その後、詳細に話していくうちに、何だか気分が重くなってくる。
というのは、ネット以外の職種では、障害のことを話さないほうがいい、という方向に進んでいるから。仮に障害のことを話すにしても、あなたはもう完治したということにしましょう。とかなんとか。
僕がだんだん浮かない顔してきたのがわかったのか、職員さんがいうには、「そりゃ、人間の洞察力にすぐれた人が面接官の場合は、君の考える通りでもいいかもしれない、でもそういった人はなかなか少ない。受かるためには、演技力が必要だ」と。
そりゃわかってるさ、演技力。演技力。でもこの場合の演技ってさ、相手を楽しませる役者の演技じゃなくて、相手を欺く演技なんだよね。
自分ができもしないことをできますと言ったり、治ってもいない障害を完治しましたといったりするよりも、これからできるように最善の努力を持って頑張るとか、障害は完治してはいないが、ほぼ改善している、障害を逃げ道にせず、人一倍やっていくつもりだ。というふうな熱意を見せるのが、その人の真の人間性じゃないのか?とか思ってしまう。
結局、面接では、人は演技をし、面接官はその演技力を評価するというオーディションなのかな。受験のときもそうだけどどうもこうやれば受かる、これをやっていれば受かる、的なやり方ってのは、疑問なのだ。
こんなことでうだうだ考えちゃいけないのかもしれないな。僕の強迫的気質の中に、強い(主観的ではあるが)善悪の倫理規範があって、それを打破しないといけないわけだけど、打破すると、今までの自分の理想までも瓦解してしまいそうで恐ろしい。
とても眠くて、気分もめいり、帰って寝てしまって、テニスクラブに行かなかった。明日は、ある雑誌のライターの履歴書と、その他の職の履歴書を書いて、またハローワークにいきます。
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