読書 『「ひきこもり」がなおるとき―23人の臨床例 』
2005年7月28日 読書子供の心がわかる本僕達が、普段使う「ひきこもる」という意味と、名詞としての「ひきこもり」は、全く内容が違ってくる。
子どもたちはどこか病んでいる。しかし、それを克服する素晴らしさをもっている。
河合 隼雄
私自身は現代の若者たちの「生存闘争への本能的な脆弱性(ぜいじゃくせい)」が、成熟した日本社会のなかでかたちづくられた結果、「ひきこもり」の人の増大化をもたらしたのではないかと考えています。(略)とにかく、今の自分から脱出することです。イチローや浜崎あゆみになる必要はありません。「ひきこもり」の人の幸福感は、小さな1歩から得られるのです。「ひきこもり」の人に可能性がないといっているわけではありません。最初の1歩の幸福感は、なにものにもかえがたいといっているのです。世の中を見回してください。いくつになっていたとしても、現代の日本では選択肢はたくさんあります。
磯部 潮
1960年、三重県に生まれる。名古屋市立大学医学部を卒業。医学博士。臨床心理士。厚生連尾西病院、大同病院、名古屋市立精神保健指導センター、厚生連海南病院を経て、いそべクリニック院長、東京福祉大学教授。専門は、身体表現性障害、ひきこもり・不登校などの思春期・青年期の精神病理、境界性人格障害の精神病理。「無床総合病院精神科における身体表現性障害の臨床的研究」で1999年度日本総合病院精神医学会金子賞受賞
目次
第1章 「ひきこもり」とはなにか
第2章 「ひきこもり」の症状と経過
第3章 「ひきこもり」の社会的背景
第4章 本人は今、なにをすべきか
第5章 家族はどう対応すべきか
第6章 医療機関はどのように利用すべきか
第7章 可能性の模索
ひきこもり、という精神病の名称はないので、あいまいに使われがちであることから、この著者の解釈で、まず、狭義の「ひきこもり」と広義の「ひきこもり」にわけ、世間一般にいわれる引きこもりを狭義のひきこもりと定義し、その対応策を探っていく。
ということで、僕は引きこもっているがひきこもりではない。
カウンセラーは、アドバイスを与える存在ではないそうだ。いわば自分の鏡であり、カウンセラーに向かって話すことで、自分の内面が見えて来たり、自分の気持ちを整理したりできるようになるんだそうな。そのためにカウンセリングは大変長い時間を要するんだって。
僕がカウンセリング受けてたとき、僕はなにか自分の道を開いてくれるような新しい考えを提示してくれることを期待してたのに、ただ僕の話を聞くだけだったカウンセラーに落胆してたりしてたんだけど、なるほど、カウンセラーの存在意義を僕は勘違いして解釈していたわけだ。カウンセラーは全く正しい姿勢で望んでいたんだな。納得。
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