人格障害 (1)

2005年7月19日 連載
人間は、多かれ少なかれ、人格障害的な気質を持っていると思う。自分がどういった人格障害的な傾向をもっているかということを調べたりしておくことは、様様なトラブルを未然に対処する上でも非常に重要なんじゃないかと思う。病院の絶対信仰みたいなのがあるけど、医者に判断をまかせっきりなのも危険だ。
たとえ、自分がそういった障害の診断をされていなかったとしても、人間であるなら、何らかの人格障害の傾向を見出すことができるはずだし、そうであるなら、人格障害がどんなものであり、その治療法を知っておけば、充分に応用が利くはずである。
人は、自分を障害に当てはめるのを嫌ったりする。鬱病の人が自分の鬱を認めなかったり。
それには、精神的疾患に対する根強い偏見があるのは事実だし、安易に自分を障害に当てはめて、それを逃げ道にしてしまいかねない自分への呵責の念であるのかもしれない。

でも、僕は自分が、そういった障害かはわからないが、そういった傾向がある、という認識は、役に立つと思う。自分がこういった障害かもしれない。とか、公言する必要は無い。ただ自分が認識する意味において、現在医学的に、その解明も対処法もここまで進んできた様様な人格障害の定義やデータを利用しない手は無いと思うのだ。
障害と決め付けるとそれを盾にして物事から逃げてしまうという自覚があるなら、それを頑張って盾にしないようにしなければいい。

障害(もしくはその傾向)と定義することは、今まで持っていた物が盾だと気づいただけで、これまでもずっと持っていたものに変わりはないんだから。でも盾が不必要なもので、捨てたい場合、自分が盾を持っているという自覚が無いと不必要という認識に到達せず、捨てることはできない。
自分がこういった障害的な気質を持っているという自覚を持たなければ、いつまでたっても、その苦しみが自分の気質からきているのだと気づかず対処もままならない。という風に思う。

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