ISBN:4102001026 文庫 高橋 健二 新潮社 1951/11 ¥420
デミアンは、いわばシンクレールの深層意識。彼が本当に願えば、デミアンはいつでも彼の前に現れる。
「きみが世界を単に自分の中に持っているかどうかということと、きみがそれを実際知っているかどうかということとは、大変な違いだ」
シンクレールの中にデミアンが存在しても、それを知り、存在を確信するには、長い苦悩が待っているかもしれない。
「友達たちをとほうもない毒舌で喜ばせたり、たびたび驚かせたりしてはいたものの、自分が嘲笑している全てのものに対し心の奥では尊敬の念を持っていた。そして自分の心の前に、自分の過去の前に、自分の母の前に、神の前に、内心では泣きながら額ずいていた。」
シンクレールは、デミアンを恐れ、逃避を試みたが、内心は、彼を欲していた。憧れゆえの恐れ。シンクレールは望まぬ欲望に身を浸したが、そういった行為を憎んでいたのではない。
「われわれが誰か(何か)を憎むとすれば、・・・われわれ自身の中に宿っているものを憎んでいるのだ。われわれ自身の中にないものは、われわれを興奮させはしない」
彼はよりどころとなる場所を探していたのだろう。幼い頃は両親の住む世界。その世界を出てからは、もうひとつの世界にも、嫌悪を抱きながらも足を踏み入れてみた、二つの世界を生き、そうしたもがきの中で、ついに彼は気づく。
「新しい神々を欲するのは誤りだった。世界に何らかあるものを与えようと欲するのは完全に誤りだった。目覚めた人間にとっては、自分自身をさがし、自己の腹を固め、どこに達しようと意に介せず、自己の道を探って進む、という一事以外に全然なんらの義務も存しなかった」
「詩人として、あるいは気違いとして終ろうと、預言者として、あるいは犯罪者として終ろうと・・・それは肝要事ではなかった。実際それは結局どうでもいいことだった。肝要なのは、任意な運命ではなくて、自己の運命を見出し、それを完全にくじけずに生き抜くことだった」
自らのうちに存在するデミアンへの道は開けた。後は彼が踏み出す勇気を持つだけだ。
「人は自分自身の腹がきまっていない場合に限って不安を持つ。彼らは自分自身の立場を守る決意を表明したことがないから、不安を持つのだ」
ついにシンクレールは完全に自己のうちにデミアンを見出した。彼は不安を振りほどき踏み出したのである。もう彼は再びデミアンを欲する必要はない。なぜなら自分が、デミアンであることを知っているからである。
僕は、時折、自己の内のデミアンの存在が不確かになる。この本は、そんな僕に限りない勇気を与えてくれるのだ。
ドイツのノーベル賞受賞作家ヘルマン・ヘッセの1919年、42歳の時の作品。デミアンに出会った人間は幸せだ。だけど、デミアンに会わずとも、僕達はデミアンを見つけ出すことができる。なぜならデミアンは、自分自身に他ならないから。
ラテン語学校に通う10歳の私、シンクレールは、不良少年ににらまれまいとして言った心にもない嘘によって、不幸な事件を招いてしまう。私をその苦境から救ってくれた友人のデミアンは、明るく正しい父母の世界とは別の、私自身が漠然と憧れていた第二の暗い世界をより印象づけた。主人公シンクレールが、明暗二つの世界を揺れ動きながら、真の自己を求めていく過程を描く。
デミアンは、いわばシンクレールの深層意識。彼が本当に願えば、デミアンはいつでも彼の前に現れる。
「きみが世界を単に自分の中に持っているかどうかということと、きみがそれを実際知っているかどうかということとは、大変な違いだ」
シンクレールの中にデミアンが存在しても、それを知り、存在を確信するには、長い苦悩が待っているかもしれない。
「友達たちをとほうもない毒舌で喜ばせたり、たびたび驚かせたりしてはいたものの、自分が嘲笑している全てのものに対し心の奥では尊敬の念を持っていた。そして自分の心の前に、自分の過去の前に、自分の母の前に、神の前に、内心では泣きながら額ずいていた。」
シンクレールは、デミアンを恐れ、逃避を試みたが、内心は、彼を欲していた。憧れゆえの恐れ。シンクレールは望まぬ欲望に身を浸したが、そういった行為を憎んでいたのではない。
「われわれが誰か(何か)を憎むとすれば、・・・われわれ自身の中に宿っているものを憎んでいるのだ。われわれ自身の中にないものは、われわれを興奮させはしない」
彼はよりどころとなる場所を探していたのだろう。幼い頃は両親の住む世界。その世界を出てからは、もうひとつの世界にも、嫌悪を抱きながらも足を踏み入れてみた、二つの世界を生き、そうしたもがきの中で、ついに彼は気づく。
「新しい神々を欲するのは誤りだった。世界に何らかあるものを与えようと欲するのは完全に誤りだった。目覚めた人間にとっては、自分自身をさがし、自己の腹を固め、どこに達しようと意に介せず、自己の道を探って進む、という一事以外に全然なんらの義務も存しなかった」
「詩人として、あるいは気違いとして終ろうと、預言者として、あるいは犯罪者として終ろうと・・・それは肝要事ではなかった。実際それは結局どうでもいいことだった。肝要なのは、任意な運命ではなくて、自己の運命を見出し、それを完全にくじけずに生き抜くことだった」
自らのうちに存在するデミアンへの道は開けた。後は彼が踏み出す勇気を持つだけだ。
「人は自分自身の腹がきまっていない場合に限って不安を持つ。彼らは自分自身の立場を守る決意を表明したことがないから、不安を持つのだ」
ついにシンクレールは完全に自己のうちにデミアンを見出した。彼は不安を振りほどき踏み出したのである。もう彼は再びデミアンを欲する必要はない。なぜなら自分が、デミアンであることを知っているからである。
僕は、時折、自己の内のデミアンの存在が不確かになる。この本は、そんな僕に限りない勇気を与えてくれるのだ。
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