裁かれるはどちらか。
2005年6月14日 時事ニュース
06月14日付 朝日新聞の報道「同級生が「いじめあった」 任意の事情聴取で証言」へのコメント:光高校で傷害容疑で逮捕された男子生徒の行動は、いわばテロリズムではないか。だが、少年を行動に走らせたのは、モスリムに不具合を与えつづけたアメリカのように、彼の個性に不具合を与えつづけた生徒達である。
アメリカは、武力ではなく、経済的政治的、文化的にモスリムの精神を傷つけた。
生徒たちは、暴力ではなく、言葉や態度によって少年の精神を傷つけた。
アメリカと生徒たちの共通点。彼らは自分がやっている意味合いの認識はできている。からかいとは、相手を傷つけることによって成立するのだから、認識できていないはずはない。しかし、それが相手に対してどの程度の結果をもたらすのかに対して、アメリカも生徒たちも理解に欠けていた。テロリズムは、無関係の国民、生徒を巻き込んだ。武力行使を行ったほうは、有無をいわず裁かれる。
だから、少年は裁かれることになる。
利害によってアメリカに付く各国のように、教師たちは、自己保身をもっともらしい言葉により虚飾する。その他の人たちも、多くは、生徒のケアは述べても少年のケアは述べることをしない。
「(いじめの具体例を)言ってほしくなかった。直接の原因かどうか定かでないのに、その行為をした生徒が自分と考え、苦しむ恐れがある」
という言葉はどうだろう?その言葉によって、生徒は保護されるだろう。しかし少年の苦しみは抹殺される。
少年は、否応なくこれから罪を罰せられる。それは生徒達を傷つけた上での責任、贖罪。だが、彼を傷つけた生徒達は彼に贖罪しないのだろうか?アメリカのように、彼らは、自分の罪を蔑ろにして無実の立場に立つべきか?
からかいは、生身の体にジャブをうちこむようなものだ。親しい間柄なら、遊びとみなされるジャブも、親しい間柄ではない相手からされればそれは暴力だ。しかも一人ではなく、大勢からジャブを一度に受けるなら、受けた体はどうなることか。
いじめはやるほうが図るものではなく、やられた側が図ることだ。いじめているつもりはなかったという言葉は、なんのいい訳にもなるまい。少年が、爆弾を投げ込んだことを、人を傷つけているつもりはないといったところで、罪は免れないのと同様。
からかいを行ったものは、それが少年にとっていじめであったかを明らかにすべきだし、そのことで苦しみ苦悩することがあっても、それはその少年を傷つけた責任、少年への贖罪である。
生徒のケアを述べるなら、少年の擁護もするべきであるし、少年が責められるのであれば、からかいを行なった生徒も責められるべきである。少年が罪を購うのなら、からかいを行なった生徒も少年に対して罪を購うべきは当然である。
アメリカは、武力ではなく、経済的政治的、文化的にモスリムの精神を傷つけた。
生徒たちは、暴力ではなく、言葉や態度によって少年の精神を傷つけた。
アメリカと生徒たちの共通点。彼らは自分がやっている意味合いの認識はできている。からかいとは、相手を傷つけることによって成立するのだから、認識できていないはずはない。しかし、それが相手に対してどの程度の結果をもたらすのかに対して、アメリカも生徒たちも理解に欠けていた。テロリズムは、無関係の国民、生徒を巻き込んだ。武力行使を行ったほうは、有無をいわず裁かれる。
だから、少年は裁かれることになる。
利害によってアメリカに付く各国のように、教師たちは、自己保身をもっともらしい言葉により虚飾する。その他の人たちも、多くは、生徒のケアは述べても少年のケアは述べることをしない。
「(いじめの具体例を)言ってほしくなかった。直接の原因かどうか定かでないのに、その行為をした生徒が自分と考え、苦しむ恐れがある」
という言葉はどうだろう?その言葉によって、生徒は保護されるだろう。しかし少年の苦しみは抹殺される。
少年は、否応なくこれから罪を罰せられる。それは生徒達を傷つけた上での責任、贖罪。だが、彼を傷つけた生徒達は彼に贖罪しないのだろうか?アメリカのように、彼らは、自分の罪を蔑ろにして無実の立場に立つべきか?
からかいは、生身の体にジャブをうちこむようなものだ。親しい間柄なら、遊びとみなされるジャブも、親しい間柄ではない相手からされればそれは暴力だ。しかも一人ではなく、大勢からジャブを一度に受けるなら、受けた体はどうなることか。
いじめはやるほうが図るものではなく、やられた側が図ることだ。いじめているつもりはなかったという言葉は、なんのいい訳にもなるまい。少年が、爆弾を投げ込んだことを、人を傷つけているつもりはないといったところで、罪は免れないのと同様。
からかいを行ったものは、それが少年にとっていじめであったかを明らかにすべきだし、そのことで苦しみ苦悩することがあっても、それはその少年を傷つけた責任、少年への贖罪である。
生徒のケアを述べるなら、少年の擁護もするべきであるし、少年が責められるのであれば、からかいを行なった生徒も責められるべきである。少年が罪を購うのなら、からかいを行なった生徒も少年に対して罪を購うべきは当然である。
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