読書 『アメリカの夜』
2005年6月15日 読書〔小説・詩〕
ISBN:406273057X 文庫 阿部 和重 講談社 2001/01 ¥560
中山唯生のやっていることが、僕がやってきたことと余りにも同じであったので、他人事とは思えずに、ある種の興奮を持って読み進めた。
僕も大学3年から、4年のあいだ、読書の人であり、映画の人であったからだ。授業以外は、読書をし、疲れれば映画を見る、という日常を送っていた。そういう日常をあたかも修行のように僕は解していた。それは障害という名にコンプレックスを抱えた卑屈な青年が、異質な自分という他者との差別化により、どうせ異質でありつづけるなら、中途半端でいたくないというという幼稚で鬱屈した精神のなせる技であった。
それはまさに、この本に書かれているように、「人間」だの「存在」だのが、なにものにも庇護をうけず、それじたいで身をささえているのだと高を括っている弛緩した精神であったように思う。
その精神も今では意味合いを変容し、多少なりとも成長といえる痕跡を与えてはいるかもしれないが、それでも未だに、嘲笑されるべき戯言から、現実への昇華を信じて疑わない自分、そのことに拘泥している自分というものを否定できるまでにいたってはいない。
映画学校を卒業し、アルバイト生活を続ける中山唯生。芸術を志す多くの若者と同じく、彼も自分がより「特別な存在」でありたいと願っていた。そのために唯生はひたすら体を鍛え、思索にふける。閉塞感を強めるこの社会の中で本当に目指すべき存在とは何か?新時代の文学を切り拓く群像新人文学賞受賞作。
中山唯生のやっていることが、僕がやってきたことと余りにも同じであったので、他人事とは思えずに、ある種の興奮を持って読み進めた。
僕も大学3年から、4年のあいだ、読書の人であり、映画の人であったからだ。授業以外は、読書をし、疲れれば映画を見る、という日常を送っていた。そういう日常をあたかも修行のように僕は解していた。それは障害という名にコンプレックスを抱えた卑屈な青年が、異質な自分という他者との差別化により、どうせ異質でありつづけるなら、中途半端でいたくないというという幼稚で鬱屈した精神のなせる技であった。
それはまさに、この本に書かれているように、「人間」だの「存在」だのが、なにものにも庇護をうけず、それじたいで身をささえているのだと高を括っている弛緩した精神であったように思う。
その精神も今では意味合いを変容し、多少なりとも成長といえる痕跡を与えてはいるかもしれないが、それでも未だに、嘲笑されるべき戯言から、現実への昇華を信じて疑わない自分、そのことに拘泥している自分というものを否定できるまでにいたってはいない。
コメント