マルサの試験
2005年6月12日朝ご飯はしっかり食べましょうね。
集団の流れに身を任せほろほろ歩いていたら九州産業大学に到着。僕の通っていた大学の2.5倍くらいの広さ。
この道を通るのも、もう四回目かあ、としみじみ思う。進歩がないね。
さすがに、今年はもう僕の知ってる人はいなくて、みんなフレッシュな感じ。まあ、僕と同じように何度も受けてる人もいるんだろうけど、僕の目にはみんな清純で旺盛な生気を放っているように見えた。
試験ということで覚悟はしてたけど、強迫が強く出て、喉をクンクン鳴らせたり胸をポコポコへこましたりしてたから、周りの人は迷惑してたかもしれないな。ごめん。
試験は長い。午前九時から午後の六時まで。気力を持たせるだけで、気力が尽きてしまいそうになる。午前の教養。ぎゃふん。
正午、背伸びをしつつ後ろを振り返った僕の先にまーくんがいた。
まーくん。幼稚園と小学校、中学校が一緒で。保育園時代がき大将、小学校時代人気者、中学校時代よく知らない。
僕の実家から50メートルくらいに住んでるご近所さんで、小さい頃は、幼馴染だった(変な表現)。保育園でまーくんと僕はいわばジャイアンとノビタの関係。小学校では親友になり、中学では疎遠になった。
そんなまーくんをこんなところで見かけるとは思わなんだ。お互いに目が合った。明らかに向こうも僕に気がついていた。しかし、長い月日はお互いを限りなくあかの他人へと遡及させて、僕達は、ほんの瞬間の驚きをお互いに感知したにとどまり、再び二人の間には、他者同士が築く壁に仕切られた。そういえば親の何気ない話で、彼は仕事についておらず、ぶらぶらしているとかいうのを聞いていた。実家に帰省するときに何度かバスの中で見たような気もする。まーくんは、ずいぶん背が伸び、髪が伸び、昔のやんちゃぶりは薄れ、好青年の面影を宿していた。僕に与えた新鮮さは、二人が邂逅するまでの時間の隔たりであり、変化である。
午後の専門は、出来た部分と駄目な部分が露骨に出た。論文は、ほぼ納得する内容のものが書けたが、問題の選択肢に社会学がなければ、恐らくん2,3行しか書けなかっただろう。
帰りのバスは、22時しかないと聞いてギョッとしたが、19時40分のにキャンセルが出て、なんとか10時には大分に帰りつくことが出来た。帰りのバスでは行きの半分程度しか読書が出来なかった。
集団の流れに身を任せほろほろ歩いていたら九州産業大学に到着。僕の通っていた大学の2.5倍くらいの広さ。
この道を通るのも、もう四回目かあ、としみじみ思う。進歩がないね。
さすがに、今年はもう僕の知ってる人はいなくて、みんなフレッシュな感じ。まあ、僕と同じように何度も受けてる人もいるんだろうけど、僕の目にはみんな清純で旺盛な生気を放っているように見えた。
試験ということで覚悟はしてたけど、強迫が強く出て、喉をクンクン鳴らせたり胸をポコポコへこましたりしてたから、周りの人は迷惑してたかもしれないな。ごめん。
試験は長い。午前九時から午後の六時まで。気力を持たせるだけで、気力が尽きてしまいそうになる。午前の教養。ぎゃふん。
正午、背伸びをしつつ後ろを振り返った僕の先にまーくんがいた。
まーくん。幼稚園と小学校、中学校が一緒で。保育園時代がき大将、小学校時代人気者、中学校時代よく知らない。
僕の実家から50メートルくらいに住んでるご近所さんで、小さい頃は、幼馴染だった(変な表現)。保育園でまーくんと僕はいわばジャイアンとノビタの関係。小学校では親友になり、中学では疎遠になった。
そんなまーくんをこんなところで見かけるとは思わなんだ。お互いに目が合った。明らかに向こうも僕に気がついていた。しかし、長い月日はお互いを限りなくあかの他人へと遡及させて、僕達は、ほんの瞬間の驚きをお互いに感知したにとどまり、再び二人の間には、他者同士が築く壁に仕切られた。そういえば親の何気ない話で、彼は仕事についておらず、ぶらぶらしているとかいうのを聞いていた。実家に帰省するときに何度かバスの中で見たような気もする。まーくんは、ずいぶん背が伸び、髪が伸び、昔のやんちゃぶりは薄れ、好青年の面影を宿していた。僕に与えた新鮮さは、二人が邂逅するまでの時間の隔たりであり、変化である。
午後の専門は、出来た部分と駄目な部分が露骨に出た。論文は、ほぼ納得する内容のものが書けたが、問題の選択肢に社会学がなければ、恐らくん2,3行しか書けなかっただろう。
帰りのバスは、22時しかないと聞いてギョッとしたが、19時40分のにキャンセルが出て、なんとか10時には大分に帰りつくことが出来た。帰りのバスでは行きの半分程度しか読書が出来なかった。
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