読書 『LD(学習障害)とADHD(注意欠陥多動性障害)』
2005年6月10日 読書
ISBN:4062721961 新書 上野 一彦 講談社 2003/05 ¥819
LD・ADHDの困難とは、それが障害とはみなされづらく、ゆえに、なんの対応も取られないことにある。
ある映画で出てくる青年は、知的障害が軽度なために、かえって理解されずに就職実習で困難と挫折を経験する。周りの期待がわかるだけに、厳しい社会の壁を前にふともらすつぶやき・・・。「俺がもっと馬鹿だったら悩まなくていいのに」
この苦悩は実にリアルに胸に響く。僕自身も、学生時代に落ち着きがなく、そして何より、授業の内容がまったく頭に入ってこなかった。ADHDやLDの診断を下されたわけではないが、自分自身の意志ではどうしようもないこの状態にたいして、それらの症状が多少なりとも関与していることは可能性としてありうる。僕は結局、どんなに真剣に聞いても、耳に入らず、理解もできない授業を放棄し、聞くことすらもやめてしまった。だから、学生時代を通して、僕の成績は、最後から指折り数えることができるほどの低さだった。特に数学などは、いつも0点か2点だった。勉強が嫌いなわけではない。ただ授業が頭に入らない、人の話が頭に入らないという辛さ。これは僕にとって切実な問題である。そしてそれは現在においても治っておらず、そのせいで公務員学校もドロップアウトしてしまった。就職したとて、その懸念は常について回る。
大学時代に、僕は学ぶ楽しさを知った。しかしそれは一人で学ぶということだ。一人で興味の赴くままに学ぶことは無理なく学べる。これはADHDの典型的な症例でもあり、ADHDで有名なアインシュタインも、学校では落第生だった。彼の業績は、全て一人で学んだ思考実験の賜物である。
ADHDやLDが苦しむ背景に、理解されないということがあるが、まず現れるのが、学校生活である。
教師とは、自分に定められた教科を教えていれば教師なのであろうか?そもそも教育とはなんなのか?この本には「教育とはサービスである」と書いてある。サービス(奉仕)とは、「献身的に国家・社会のために尽くすこと」、教師の立場で言うなら、尽くす対象は子供たちである。尽くすとは、ただ単に教科を教えることではあるまい。子供たち一人一人の問題に目を向け、取り組むことをいうのではないだろうか。
「特異な学力のつまづきや困難に目を向けたLD概念は、わが国のように勉強の遅れを教師の責任として敏感に受け止めることのない教育風土では問題視されにくいという状況があった。だからこそ、不登校とか学級崩壊といった、子供の行動がある沸点を超えると一気に問題として表面化する」
以前も書いたが、僕は教師というものは、単なる職としてあるものではなく、よりいっそう人格的な素養が備わっていないと勤めてはいけない資格だと思っている。それは、人を育てるという責務が、少なくともその何割かは、教師の双肩にかかっているのだから。勉強ができない生徒に対し、あの子はできないとか、レッテルを貼るのではなく、自分の教え方があの子には合わないのではないかとか、どうすれば、あの子が勉強しやすい環境を形成できるかを自分の責務として考えていくことが教師のプロとして姿勢ではないだろうか。
「出来のいい子供ばかりを相手にするのは“えこひいき”だが、手のかかる子、遅れがちな子、外れがちな子を、ひとりひとり、タイミングよく特別扱いする“ひいき”は、ベテラン教師、今風にいうならスーパー教師なら誰でもすることである。
反対に、やっかい者扱いする目や無視しがちな態度は敏感に子供たちに伝わる。いじめの原因を探っていったら、何気ない教師の言動がそのきっかけだったという例もある」
では、LDやADHDの子供たちに、どのような手段を講じるべきなのか。
「物事を肯定的に捉えるか、否定的に捉えるか、その差は大きい。LD・ADHDにしても同じである。彼ら自身が、まず自分の得意な領域や長所をしっかり知っていること、次に苦手な領域や短所について客観的に見つめること、そのうえで克服する努力を続けるのか、必要な助けを借りるのか、別の手段で代替するのか、まったく別の道を選択するのか、そうした作戦について知恵を集め、冷静に考える経験を積むことが最も効果的な教育といえる」
それを選択しなくてはならないのは、障害を持つ子ら本人である。いずれの道を選んでも、道は険しく、困難である。
「もだえ苦しむ最中の事例は、それを自らの責任とするには熊の胆のように苦い」
だからこそ、教師は、彼らの旅路の杖となり、道標となってやらねばならない。
「障害を個性としてみんなが理解できるならば、障害という概念をあえて使う必要性はない。しかし、その障害の実態が理解されぬまま不適切な対応が存在するのであれば、障害を明確化するのは、必要な作業なのである」
不適切な対応を行っているのは、教師であり、親であり、われわれである。
「その個性が不利をこうむるとき障害となる」
本当なら、LDであるとか、ADHDであるとかはどうでもいいのである。それを個性と理解し、その個性にしっかり向き合っていくことさえ出来れば。
われわれは、そのことを認識することから、はじめなければならないのだと思う。
LD児、ADHD児たちは「障害者」なのか!?彼らが将来、社会で自立するために親や教師がすべき支援とは、障害者ではなく「個性的な人」と認められる教育を求めることだ!子供の心がわかる話題の本。
上野 一彦
1943年、東京都に生まれる。東京大学教育学部、同大学院を修了後、東京大学助手、東京学芸大学講師を経て、東京学芸大学副学長。早くからLD教育の必要性を主張。その支援教育を実践するとともに啓発活動を行い、1990年、全国LD親の会、1992年、日本LD学会設立に関わる。文部科学省「特別支援教育の在り方に関する調査研究」などの協力者会議委員を務める。東京都「心身障害教育改善検討委員会」委員長。日本LD学会会長。学校心理士、LD教育士スーパーバイザー
目次
第1章 LD・ADHDを理解する
第2章 LD・ADHDの歴史をたどる
第3章 LD・ADHDの実態と定義
第4章 なぜLD・ADHDになるのか
第5章 LD・ADHDへの気づきと判断
第6章 LD・ADHDへの対応―個性とのつきあい方
第7章 LD・ADHDよ、世界へ羽ばたけ
資料 LD・ADHDへの気づきのために―教師の目から見たチェックリスト
LD・ADHDの困難とは、それが障害とはみなされづらく、ゆえに、なんの対応も取られないことにある。
ある映画で出てくる青年は、知的障害が軽度なために、かえって理解されずに就職実習で困難と挫折を経験する。周りの期待がわかるだけに、厳しい社会の壁を前にふともらすつぶやき・・・。「俺がもっと馬鹿だったら悩まなくていいのに」
この苦悩は実にリアルに胸に響く。僕自身も、学生時代に落ち着きがなく、そして何より、授業の内容がまったく頭に入ってこなかった。ADHDやLDの診断を下されたわけではないが、自分自身の意志ではどうしようもないこの状態にたいして、それらの症状が多少なりとも関与していることは可能性としてありうる。僕は結局、どんなに真剣に聞いても、耳に入らず、理解もできない授業を放棄し、聞くことすらもやめてしまった。だから、学生時代を通して、僕の成績は、最後から指折り数えることができるほどの低さだった。特に数学などは、いつも0点か2点だった。勉強が嫌いなわけではない。ただ授業が頭に入らない、人の話が頭に入らないという辛さ。これは僕にとって切実な問題である。そしてそれは現在においても治っておらず、そのせいで公務員学校もドロップアウトしてしまった。就職したとて、その懸念は常について回る。
大学時代に、僕は学ぶ楽しさを知った。しかしそれは一人で学ぶということだ。一人で興味の赴くままに学ぶことは無理なく学べる。これはADHDの典型的な症例でもあり、ADHDで有名なアインシュタインも、学校では落第生だった。彼の業績は、全て一人で学んだ思考実験の賜物である。
ADHDやLDが苦しむ背景に、理解されないということがあるが、まず現れるのが、学校生活である。
教師とは、自分に定められた教科を教えていれば教師なのであろうか?そもそも教育とはなんなのか?この本には「教育とはサービスである」と書いてある。サービス(奉仕)とは、「献身的に国家・社会のために尽くすこと」、教師の立場で言うなら、尽くす対象は子供たちである。尽くすとは、ただ単に教科を教えることではあるまい。子供たち一人一人の問題に目を向け、取り組むことをいうのではないだろうか。
「特異な学力のつまづきや困難に目を向けたLD概念は、わが国のように勉強の遅れを教師の責任として敏感に受け止めることのない教育風土では問題視されにくいという状況があった。だからこそ、不登校とか学級崩壊といった、子供の行動がある沸点を超えると一気に問題として表面化する」
以前も書いたが、僕は教師というものは、単なる職としてあるものではなく、よりいっそう人格的な素養が備わっていないと勤めてはいけない資格だと思っている。それは、人を育てるという責務が、少なくともその何割かは、教師の双肩にかかっているのだから。勉強ができない生徒に対し、あの子はできないとか、レッテルを貼るのではなく、自分の教え方があの子には合わないのではないかとか、どうすれば、あの子が勉強しやすい環境を形成できるかを自分の責務として考えていくことが教師のプロとして姿勢ではないだろうか。
「出来のいい子供ばかりを相手にするのは“えこひいき”だが、手のかかる子、遅れがちな子、外れがちな子を、ひとりひとり、タイミングよく特別扱いする“ひいき”は、ベテラン教師、今風にいうならスーパー教師なら誰でもすることである。
反対に、やっかい者扱いする目や無視しがちな態度は敏感に子供たちに伝わる。いじめの原因を探っていったら、何気ない教師の言動がそのきっかけだったという例もある」
では、LDやADHDの子供たちに、どのような手段を講じるべきなのか。
「物事を肯定的に捉えるか、否定的に捉えるか、その差は大きい。LD・ADHDにしても同じである。彼ら自身が、まず自分の得意な領域や長所をしっかり知っていること、次に苦手な領域や短所について客観的に見つめること、そのうえで克服する努力を続けるのか、必要な助けを借りるのか、別の手段で代替するのか、まったく別の道を選択するのか、そうした作戦について知恵を集め、冷静に考える経験を積むことが最も効果的な教育といえる」
それを選択しなくてはならないのは、障害を持つ子ら本人である。いずれの道を選んでも、道は険しく、困難である。
「もだえ苦しむ最中の事例は、それを自らの責任とするには熊の胆のように苦い」
だからこそ、教師は、彼らの旅路の杖となり、道標となってやらねばならない。
「障害を個性としてみんなが理解できるならば、障害という概念をあえて使う必要性はない。しかし、その障害の実態が理解されぬまま不適切な対応が存在するのであれば、障害を明確化するのは、必要な作業なのである」
不適切な対応を行っているのは、教師であり、親であり、われわれである。
「その個性が不利をこうむるとき障害となる」
本当なら、LDであるとか、ADHDであるとかはどうでもいいのである。それを個性と理解し、その個性にしっかり向き合っていくことさえ出来れば。
われわれは、そのことを認識することから、はじめなければならないのだと思う。
コメント