ニート
2005年6月9日床屋に行ってきた。床屋というか、美容院というか。ヘヤサロンっていうのかな。
とにかく、僕が通っている床屋は、僕の中学時代の同級生がチーフをやっている。彼の立派な立ち居振舞いを見るにつけ、自分のふがいなさが対比させられて、髪の毛を刈られるだけにとどまらず、焦燥の念に少なからず駆られる。
僕は、所謂ひとつの、ニートっていうのに、分類されるんじゃないのかと思う。というのが、僕は公務員になることにそこまでの情熱を持っているとはどう考えてもいえないのだ。もしかしたら、公務員試験という言葉を隠れ蓑に、働くことから遠ざかっているのかもしれない。
気づかぬうちに。それを意識し出したのは、少し前からだけれど、なぜなら僕は、だいぶ治ったけど根っこに人間不信の目があり、そこから対人恐怖という枝へと連なっている。僕は、ここ二、三年で、その枝をだいぶ剪定してきたけど、そうなると、今度はその根っこの部分が浮き彫りになって、意識の前面に浮上してくる。
その証拠に、僕はいまだに公務員を目指している。情熱があれば、三年もあれば、公務員試験に受かるか受からないかのところ(つまり一次合格)というものを一度や二度経験していてもおかしくないだろう。
でも今年が最後。いつまでもニートじゃいられない。
対人恐怖を脱却するには、頭でっかちじゃどうにもならない実践が必要だ。今は薬も飲んでるし、来年には働いていたい。
公務員になれなくても、自分にあった職種を探していかなければ。
てなことで、床屋の友達に、いい職はないかね〜?と聞いたりなんかしてる。
いずれにせよ、今年来年は、僕のひとつの分岐点、ニートからの脱出を図る勝負の年になることは間違いない。勇気をもて!
とにかく、僕が通っている床屋は、僕の中学時代の同級生がチーフをやっている。彼の立派な立ち居振舞いを見るにつけ、自分のふがいなさが対比させられて、髪の毛を刈られるだけにとどまらず、焦燥の念に少なからず駆られる。
僕は、所謂ひとつの、ニートっていうのに、分類されるんじゃないのかと思う。というのが、僕は公務員になることにそこまでの情熱を持っているとはどう考えてもいえないのだ。もしかしたら、公務員試験という言葉を隠れ蓑に、働くことから遠ざかっているのかもしれない。
気づかぬうちに。それを意識し出したのは、少し前からだけれど、なぜなら僕は、だいぶ治ったけど根っこに人間不信の目があり、そこから対人恐怖という枝へと連なっている。僕は、ここ二、三年で、その枝をだいぶ剪定してきたけど、そうなると、今度はその根っこの部分が浮き彫りになって、意識の前面に浮上してくる。
その証拠に、僕はいまだに公務員を目指している。情熱があれば、三年もあれば、公務員試験に受かるか受からないかのところ(つまり一次合格)というものを一度や二度経験していてもおかしくないだろう。
でも今年が最後。いつまでもニートじゃいられない。
対人恐怖を脱却するには、頭でっかちじゃどうにもならない実践が必要だ。今は薬も飲んでるし、来年には働いていたい。
公務員になれなくても、自分にあった職種を探していかなければ。
てなことで、床屋の友達に、いい職はないかね〜?と聞いたりなんかしてる。
いずれにせよ、今年来年は、僕のひとつの分岐点、ニートからの脱出を図る勝負の年になることは間違いない。勇気をもて!
コメント