読書 『ただの私(あたし)』
2005年5月19日 読書
ISBN:4061847503 文庫 飯村 隆彦 講談社 1990/09 ¥520
幼いころの孤独によって、孤独が好きになる人と孤独が嫌になる人の二通りあったとして、ヨーコは孤独ではいられない人だと思う。だから人とコミュニケーションを積極的に取ろうとする。しかし、ありのままの自分自身で人と接していたい。世の中の常識の範疇にいては、自分自身でいられない。だから自分自身であろうとすれば、ヨーコの存在自体がアバンギャルドたらざるを得ない。だからヨーコは理解されずらいし、世の中というものと融和したいがために戦わざるを得なくなる。数少ない理解者を得たとしても、そのもがきの中で、彼女は、やはり自分自身でいるためには、強くならなければいけなかった。
ヨーコは今なおもがき続けてる。非常に冷静に、そしていつも毅然と舌態度で静かに、しかし大胆にもがいている。もがくとは戦うこと。文章の中のフェミニズムも、「ただの私」でいるために常識に抗わざるをえないもがきの一部分であるから。ありのままの自分でいるためには、その自分の体である、女性の立ち位置が人間として、男性と対等でなければ、無理だということなのだろう。
ありのままでいようとしたヨーコと、ありのままの姿になりたかったジョンが強い絆で結ばれたのは、至極当然のことだったのかもしれない。
私はただ私でありたい、と思って生きてきただけ――。世界で1番多忙で有名な未亡人オノ・ヨーコが日本語で書き、語った正真正銘の1冊。亡き夫ジョンの思い出、愛息ショーン、そして世界中の子供たちへの熱いメッセージでもある。かつて、これほどまでも卒直に自分自身を語った人があるだろうか!!
目次
わが愛、わが闘争
日本男性沈没
母性社会の必然性
『女性上位万歳』
「家も政治も女と交代したら」
「未来…は未知数」
「先ず母親、次にアーティスト」
"女"
明日また行くんだ
幼いころの孤独によって、孤独が好きになる人と孤独が嫌になる人の二通りあったとして、ヨーコは孤独ではいられない人だと思う。だから人とコミュニケーションを積極的に取ろうとする。しかし、ありのままの自分自身で人と接していたい。世の中の常識の範疇にいては、自分自身でいられない。だから自分自身であろうとすれば、ヨーコの存在自体がアバンギャルドたらざるを得ない。だからヨーコは理解されずらいし、世の中というものと融和したいがために戦わざるを得なくなる。数少ない理解者を得たとしても、そのもがきの中で、彼女は、やはり自分自身でいるためには、強くならなければいけなかった。
ヨーコは今なおもがき続けてる。非常に冷静に、そしていつも毅然と舌態度で静かに、しかし大胆にもがいている。もがくとは戦うこと。文章の中のフェミニズムも、「ただの私」でいるために常識に抗わざるをえないもがきの一部分であるから。ありのままの自分でいるためには、その自分の体である、女性の立ち位置が人間として、男性と対等でなければ、無理だということなのだろう。
ありのままでいようとしたヨーコと、ありのままの姿になりたかったジョンが強い絆で結ばれたのは、至極当然のことだったのかもしれない。
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