法律の勉強なんかしててふと思ったけど、例えば法律に定められたことが罪なのではなくて、罪の中に法律が包含されてるというのが正しいはずだよね。
だから、もちろん、法にかかれていないことでも、罪となることはたくさんあって、よく耳にする、「法には触れてないんだからいいじゃないか」というのは、まったく人間の善の概念を蔑ろにした、まさに、法がすべての罪の根拠であるという考えであり、まったくもっていただけないのは、法の穴を掻い潜ってあらぬことをする輩が瀰漫するこの社会を見るにつけ一目瞭然。
さて、刑法を勉強していて、その制裁の対象が、ほぼ肉体的な侵害で占められているという事実。名誉毀損だとか、精神的なことに対する法規定は、相対的に見て、甚だ少ない(単に僕が勉強してなくて知らないだけかもしれないけど)。
精神的自由とは国がもっとも制約できない自由だけれど、それほどに大事であるはずの精神が侵害されたとき、守られる術が、肉体的侵害よりも少ないというのは、なんだか矛盾であるように思えてならない。
とは言いつつも、国も少しづつ、精神的な部分の法律の充足という必然性に迫られて、受益的な分野の進展は、知る権利だとかなんだとかで、結構進んできていると思われ、今後は、さらに規制的な分野も、具体化されなきゃいけなくなってくるんじゃないかと思う。
でも、精神的侵害の罪を規定するって、難しい。肉体的な侵害なら、客観的な判断基準が存在する。多くの人が危険だと思う、もしくは危害が加わったと思う行為は判断できるから。
でも精神的な事は以前も書いたけと、きわめて抽象的であって、どこからどこまでが、精神的侵害かってのは個人の人生も加味されるし、何より、それは個人でしかわからない絶対的なことだから、それを客観化し制裁のための規定を設ける事は限界があろうし、そもそもそれをしてしまったら、精神的自由の抵触につながるわけであって。
精神的侵害に対する対処が、そのまま精神的自由の侵害に当たるというジレンマを抱えるがゆえに、やはり、刑法にしろ他の法律にしろ、精神的な分野に踏み込みづらいんだろうなあ、なんて思った。
かなり前だけど、虐めで被害者を自殺に追い込んだとして、始めて、加害者に賠償命令を命じた判決があったよね。かなり踏み込んだなあ。ちなみに、精神的侵害を法で規制するにしたら、虐めによる自殺とかで、その原因の因果関係を認めたにしても、ほとんどが、過失致死みたいな判決になるだろうね。故意であっても、加害者にしかわかんないし。
だからこそ、法律じゃ縛れない精神的分野を守る術として、道徳や哲学なんかが存在しうるんじゃないかなあ、なんて。
でも、そういったものも今や危機に瀕して、貧すりゃ鈍す(これは違うか)、とにかく、法律だけを一つの道徳と見る向きがあるように感じて、そうすると、精神に対する肉体の優位。
あっ、その事はまた今度にでも書こうかな。
だから、もちろん、法にかかれていないことでも、罪となることはたくさんあって、よく耳にする、「法には触れてないんだからいいじゃないか」というのは、まったく人間の善の概念を蔑ろにした、まさに、法がすべての罪の根拠であるという考えであり、まったくもっていただけないのは、法の穴を掻い潜ってあらぬことをする輩が瀰漫するこの社会を見るにつけ一目瞭然。
さて、刑法を勉強していて、その制裁の対象が、ほぼ肉体的な侵害で占められているという事実。名誉毀損だとか、精神的なことに対する法規定は、相対的に見て、甚だ少ない(単に僕が勉強してなくて知らないだけかもしれないけど)。
精神的自由とは国がもっとも制約できない自由だけれど、それほどに大事であるはずの精神が侵害されたとき、守られる術が、肉体的侵害よりも少ないというのは、なんだか矛盾であるように思えてならない。
とは言いつつも、国も少しづつ、精神的な部分の法律の充足という必然性に迫られて、受益的な分野の進展は、知る権利だとかなんだとかで、結構進んできていると思われ、今後は、さらに規制的な分野も、具体化されなきゃいけなくなってくるんじゃないかと思う。
でも、精神的侵害の罪を規定するって、難しい。肉体的な侵害なら、客観的な判断基準が存在する。多くの人が危険だと思う、もしくは危害が加わったと思う行為は判断できるから。
でも精神的な事は以前も書いたけと、きわめて抽象的であって、どこからどこまでが、精神的侵害かってのは個人の人生も加味されるし、何より、それは個人でしかわからない絶対的なことだから、それを客観化し制裁のための規定を設ける事は限界があろうし、そもそもそれをしてしまったら、精神的自由の抵触につながるわけであって。
精神的侵害に対する対処が、そのまま精神的自由の侵害に当たるというジレンマを抱えるがゆえに、やはり、刑法にしろ他の法律にしろ、精神的な分野に踏み込みづらいんだろうなあ、なんて思った。
かなり前だけど、虐めで被害者を自殺に追い込んだとして、始めて、加害者に賠償命令を命じた判決があったよね。かなり踏み込んだなあ。ちなみに、精神的侵害を法で規制するにしたら、虐めによる自殺とかで、その原因の因果関係を認めたにしても、ほとんどが、過失致死みたいな判決になるだろうね。故意であっても、加害者にしかわかんないし。
だからこそ、法律じゃ縛れない精神的分野を守る術として、道徳や哲学なんかが存在しうるんじゃないかなあ、なんて。
でも、そういったものも今や危機に瀕して、貧すりゃ鈍す(これは違うか)、とにかく、法律だけを一つの道徳と見る向きがあるように感じて、そうすると、精神に対する肉体の優位。
あっ、その事はまた今度にでも書こうかな。
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