フェデラーは、史上最高のプレイヤーかもしれない。

最近の彼のプレイをみるにたびに、その思いが強くなる。
ヒューイットがナンバーワンだったときは、まだフェデラーは僕にとってそれほど、印象的な選手ではなく、どちらかというと、特徴的な武器のない見ていてつまらない選手だった。

フェデラーは最近強すぎる。最強だ。ピークのころのサンプラスを上回っているかもしれない。
サンプラスも穴のない選手だったが、フェデラーを見ていると、サンプラスを完璧な選手と言うことはもうできそうもない。サンプラスの技術的な甘さが意識できるほどにフェデラーのプレーが完璧だからだ。

サンプラスはサーブとボレー、それとフォアハンドのカウンターに比べると、バックハンド、通常のフォアハンド、リターン力は若干劣って見えた。そしてそれが、フレンチオープンを取ることができなかった要因でもある。つまりサンプラスは、ネットプレイヤーであり、オールラウンドプレイヤーではなかった。もちろん、多くのオールラウウンダーよりは卓越したストローク技術も持ってはいたが。

今のフェデラーを見る限り、サンプラスにのように個々のプレーにおいて優劣をつけることができない。すべてのプレーに卓越し、まさに弱点がないのだ。サンプラスよりもサーブとボレーの技術は若干劣るかもしれないが、ほぼサンプラス並みであるし、ストロークにしては、フォアは現在最高だとあのアガシに言わさしめてる。バックも一時期より格段に良くなった。何よりサンプラスと違うのは、サンプラスはリターンでよくブロックリターンやカットリターンをして逃れていたけわけで、そこんとこ、フェデラーのほうが圧倒的に上回ってる。つまり全体的にまたくどこにも穴がない。

サンプラスとフェデラーの共通点の、「見ていてあまり面白くない」というのは、つまり、どの場面でもメンタルが安定しリズムが乱れず、しかも決まったフォームから常に安定したショットを打てることからゲームが単調なイメージに見られやすいからであるわけだが、常に変わらず見せられるということがどれほどの高い技術を要することか。つまらないということはそれだけ完璧であるということを意味するのである。(まあ、単にプレイ貧弱でがつまらないという選手もいるわけだが)。

僕がフェデラーにはまりだしたのは、やはり再びテニスを再開しだしたからだと思う。つまり、純粋にゲームとして楽しむなら、プレイに粗があって、ゲームにいくつもの変調を伴うほうが面白いわけであるが、いざプレイをする立場になれば、フェデラーのようなプレイほど、参考になる見本の宝庫はないのである。

僕はフェデラーのプレーを何度もスロー再生しながら、感嘆をもらしつつ、どうにかその技術を真似たいと研究する。つまり、フェデラーにくびったけ状態。

フェデラーは、サンプラス以上の選手となるかもしれないし、ならないかもしれない。でも確実にテニスの歴史に残る選手だ。
彼が本当の意味で最強のオールラウンダ―であることを証明するためには、いくつグランドスラムを取れるかと、フレンチオープンのタイトルを取ることにかかっている。

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